見出し画像

雑記13:進めなくなった夜に

あけましておめでとうございます。
久々のnote投稿です。

私にとってnoteを書くことは、忘れてしまう感情をあとから思い出せるようにするため、という日記的な意味合いもあります。

この数日、「数ヶ月前に書いたメモ」からリライトしていたのですが、8割書いたところでどうもぼやけた記事だな〜と感じ、脳みその中の在庫ならまだしも、過去の文章からの焼き増しだと書けない的なことがわかりました。

というわけで、リライトしかけた下書きは放っといて、今日感じたことを書きます。

劣化していなかった話

スマートフォンの画面、上端がバキバキに割れていました。経年劣化で私自身は見慣れていたものですが、さすがに気になっていて、仕事での見た目もどうかなぁという感じ。
本体ごと変えるというのもアリですが、3年は使っているものの、ただ今すぐこの機種に変えたい的な強い根拠はない。

なので、ひとまず表面のガラスシートを発注し、貼り替えることにしました。
覗き見防止&落としても代わりに割れてくれるアレです。
画面割れそのものはどうにもならないにしても、せめて一部剥がれたシートだけでも変われば多少の改善はあるかなぁというところ。

そして昨日、届いた新しいシートを過剰包装気味のアマゾン箱から取り出し、その横で本体のシートをペリペリと剥がすと…
なんと全くの無傷のスマホ画面が現れました。

どうやら以前から貼っていたシートも代わりに割れてくれるガラスシートだったようで、もう破損していると思い込んでいた画面を、実は完璧に守ってくれていたようです。

おかげでシートを貼り替えてみると、まるで今日買った新品のように綺麗な画面。
たった1000円そこらで、心機一転できています。

進めなくなった夜に

夜の、と書きましたが、生きてなにかに取り組んでいると日夜問わず、足が止まることがあります。

私にもそんなときが度々ありまして、進めなくなった夜を何度も経験しています。
多分こうすりゃいいじゃん的なことは知識でわかるんだけど、自分がそこにマッチしていない感覚。わかってるだけに苦しいこともあるのは、誰しも経験することじゃないかなと思います。

私の場合、ゆっくりとでもそれらを乗り越えて進んでこれたのは、12年お世話になっている先輩の存在が大きいです。

明けない夜は無いって言うけども


ビジネス書ではよく「メンターを決める」という話が出てきます。
決めるだけではなく、「同じ方と長期に渡り接点を持たせていただく」こと自体のメリットは後々、計り知れないほど大きい。12年が経ってみてそう思います。
仕事の話はもちろんですが、自分自身をよく知る誰かがいることで、自身を言語化できることが多いからです。

本日も新年一発目にお会いして、仕事を図に書きながら、「あーそうだな私そういう状態だな」と整理されました。

生きていくというのは、自分の形を明確にする作業に近い。
10代〜20代前半の無敵の万能感は最強でありつつ、進路が不明確だからこその悩みがありますが、20代後半〜30代と経年していく中で「自分が本当に興味があることはなにか」「特長はなにか」「癖がなにか」、RPGのパラメータ画面のように可視化できていく過程が面白いもの。
多分40代50代とどんどん自分がわかっていくんだろうなと予想しています。

ただ自分の顔を直接見ることは一生できないように、内省するだけでは限界があって、客観的に見てもらえる人がいることで真っ暗な世界が開けることがあります。

叱ってもらったとき。
未来を語る姿にワクワクをもらったとき。
私もこういう大人になりたいと思えたとき。

進めなくなった夜が、でも多分また明けるしな、と思えるのは「明けるって言ってるだろ」といつも笑ってくれる人がいるからです。

12年前は何者でもない自分でした。
良くもわるくも鵜呑みにしてたし、だから走れていたことがあった。

12年後の私は、自分が何者なのかをまだ葛藤している反面、見えてきたこともたくさんある。
自分で思考している分、素直さは努力で維持しなければいけないけど、面白い。
人生に味が出てきた感じがします。
1人なら、どこかで立ち止まっていたと思います。

ブルーピリオド

私は漫画が心情をリンクさせやすくて好きでして。
その中では「ブルーピリオド」という美術漫画の心情表現が秀逸で、今回もリンクするところがあったので書いておきます。

なんでもそれなりに上手く出来てしまうスクールカースト上位の不良高校生。要領がいい、頭もいい、愛嬌もあり、友達とオールするのも楽しい。このまま続くだろう未来に「母さんは心配性だな。ちゃんとした進路を選ぶっつーに」と返しつつ、どこか虚しさを感じていたある日、サボりのために選択した授業で「美術の世界」に目覚め、一気に心臓が動き出す。

美大受験に命を燃やす「美術漫画」でありながら、公式が「スポコン漫画」と銘打った青春作品です。

そこそこできちゃうマンのときは感じなかった、目指すものができたからこその葛藤が、
「好きなことをやるって いつでも楽しいって意味じゃないよ」
という作中のセリフ始め次々に襲ってくる本作は、大人にこそおすすめ。

美術わからない人でもグイグイ読めてしまう美術ウンチクも見もの

漫画というのは2周目以降、自分の今の心情や成長によって感じ方が変わることがあるのですが、今回印象に残ったのは、

・28話で先生から、なんで他にも手段があるのに絵画でやるのか?を問われるシーン
・49話で仲間から、描き始めたときもそんな考えてたわけ?を問われるシーン

でした。

自分には何もない気がするとき。
なんで目指してるのかわからなくなるとき。

瓦解するように涙する主人公の姿。自分の土台が揺らぐようなときは主人公ならずともあらゆる社会人にあるはずで、
「う、ゔわ〜〜〜〜〜〜」と息苦しくなるように読めるのは実体験がある大人の今だからこそかもしれません。

なんでその手段じゃなきゃだめなんだっけ。
最初そんなに考えてたっけ。
見切り発車すればいいの?
ビジョンが明確になったあとに走った方がいい気がするんだけど。

私が先輩と話して感じたことと、主人公が葛藤するシーンがちょうどリンクします。
人によっては立ち止まってしまうところだし、実際主人公も幾度となく足を止めかけます。
漫画の作者ってのは本当にすごい。
脳みそぶちまけるような葛藤が追体験できるのは、漫画の良いところだと思います。

味が出るのか、経年劣化するか

ブルーピリオドの主人公が前に進むときも、ヒントになったのは「周りにいてくれる人との対話」でした。
作中のいろんな大人に出会わなければ、主人公には美術の道を目指さず、そこそこ楽しい人生で、葛藤もなかったかもしれない。代わりに目指す道を見つける面白さもなかったかもしれない。


私自身、多分葛藤とか未熟さはこれから先何歳になろうともずっとあって、
(もしくはそれら全部無くなってしまった大人になるしかなくて)
ひとまず走り出す心のフットワークを維持していかないといけない気がしています。

いつだったか1年とか2年前にワクワクして世界がキラキラして見えました。
でも、反対に「昔はもっとこれ感じてたよな」とも思いました。
そして「いつかこう感じなくなる」「それはほんとにやばいことだな」って思ったのを覚えています。

漫画やドラマのなかの「つまんねー大人」は生まれたときからそうだったわけではなく、生まれてから経年劣化して感性が錆びちゃった状態で、
「いつもかっこいい大人」っていうのは何年経とうと感性が生きてるんだろうなと…。

人にはいろんな幸せがあるし、でかい目標がある=エライとは思いませんが、
人生に味が出るか、経年劣化するかは、私がスマホシート一つで心機一転できたように、ちょっとのきっかけでいいんだと思います。

ちょっとの気づき、ちょっとの対話、たまたま出会えた人、耳にした言葉、目にした風景…
そしてそれらの積み重ねの上に、目指す道を見つけて継続すること、一生涯の付き合いの人を持てたら、幸運。

できたら50年後とか、寿命が尽きるあたりまで、一生走れる道、一生を共にできる関係があれば。
そんな面白い人生にしていきたいです。

本日もありがとうございます。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?