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狙いと選択 ファッションの考え


少し前、僕よりいくつか若い友人からファッションについて尋ねられたことがある。

彼は僕のファッションのスタイルを気に入っていて指南を頼みたいのだと言う。

ちょぴり嬉しい反面様々な疑問が浮かんだ。
ずっと知り合いだったのになぜ今?
動機、目的はなんなんだ?
ファッションに興味あったんだ?
予算とか分かっているのか?
などなど、、、

彼はいいやつだがファッションに疎いことはまず分かっていたし、
ずっと彼女はいなかった。


睨んだ通りやはり、それが動機だった。

モテたいからお洒落になりたい!

でも正直ファッションにはそこまで興味はない、分からない。
とのこと

なるほど、、そもそも、お洒落=モテるではないことを伝えねばねらない。

ファッションに対して単純にアドバイスするならば予算となりたいイメージを聞いてその服が買える店につれていき現実を確認する。

しかし、その後彼が継続的成功をおさめる為には僕ぬきでも間違った服を買わないようにさせなければいけない、、その方法をぐるぐる考えているうちに、

普段日常生活では伏せている僕のめんどくさいスイッチが完全に入ってしまった。

色々考えを巡らせた僕はその場での回答を控え、その夜彼に以下の自分の考えをまとめた文章をラインで送った。

ファッションについて知るべき事と持論

前提
衣服を纏うことは人間が理性をもちあわせる社会性を帯びた唯一の生き物であることの象徴。
衣服の大切な意義は外気から身体を守ることだ。
しかし、社会生活においての衣服は気温に応じて着替えればよいものではなく、その人の人格、センス、職業、時には社会的地位を表す場合もありその人の印象を視覚的に与える要素として最も割合が大きいものと言っても過言ではない。

いくつかの分類にわけての説明

1.TPOについて 

それを着て行く場所、あう人、その場の環境などその服を纏うことによって与える影響を考慮することが基本的で実は最もセンスが要求させる事。
これには客観的思考が必要不可欠で想像力や着方のルールなどの知識をベースとして持ちたい。
その場の全ての環境にフィットしていて、過度な主張がなく、その人の体型やキャラクターに合っているチョイスができればそれだけで素晴らしい評価をうける。
しかし、人格の未熟さから自分を良く見せたいっという欲が垣間みれる時人を幻滅させる場合がある。
あくまで他人に良く見られる為では無く自分が自分らしくある為の主体的なファッションが求められる。(その場を考慮した上で)
人に良く見られることより悪い印象を与えないことがTPOでは重要。

2.社会性を考慮しない自分の趣味としてのファッション 

TPOを考える必要のないファッションが存在するのも事実だ。極端にいえばコスプレ等の変身願望、映画の中の憧れの人物の真似、なりたい自分の理想を叶えるファッションだ。
これに関しては自由度はかなり広く、裸以外はよっぽどなんでもありだが、このイメージを社会性を帯びたファッションとリンクさせてしまう場合があるので注意が必要だ。 
これはだれにも迷惑をかけない1人の時やファッションの趣向が合う仲間と楽しもう。

3.なりたい自分となれる、なるべき自分の区別 

着たい服の形、ブランド、色、価格帯、質感などのイメージは少なからず誰もが持っているはずだ。
興味が無いという人がいても服を着ていない人はいないわけで何かしら大なり小なりのこだわりがあるはずだ。
その全てを否定することは他人にはできないが、主体的な人ならば他人からみた自分をしっかりと認識できるはずだ。
こだわりが先行し過ぎて自分の肌の色に合わない色を無理に選んだり、サイズが狙い通りではない組み合わせになったり、服や靴の全体としてのコンセプトがバラバラであったり、、
この問題は客観視できる能力と美的感覚を鍛え上げ、時には黄金比などの理屈を学ぶ事で解決できる。
また、服を着る為に痩せたり、鍛えたりするっといった考えは根本的には間違っていると思う。

なりたい理想の自分になる為に節制と努力をして結果として健康的な身体が手に入り、それに合わせて理想的な服を手に入れるっという順番が正常である。
服は自分を誤魔化す為でも背伸びする為でもなく着る人がもともよりもつ魅力を引き出す為(下げない為)にあるのだ。

知識とは

その服の歴史、着方の正しいルール、色の組み合わせのルール、素材についてケアを含めたこと、縫製について、縫製された場所、その服の意図やコンセプトを読み取れているかなど。 
なんの意味もなく存在している服はない。元々制服であったり、どこかの国の伝統的な模様であったり、その素材で作られる理由があったり、様々学ぶことはある。
素材の特性や強度が分かればケアの仕方が分かり、高価なものであっても長くより良く使うことができる。せめてその日着ている服の情報を一通り言えるようにしておければ(理解していれば)コンセプトがバラバラになる事はない。

美しいと思った他人のファッションや絵画、写真、自然美などどんなことでも理由を追求し、ロジックを理解すれば美しいものを見極める能力はおのずと上がってくる。 


それらを知った上での大前提

まずは清潔であること。汚れがないか異臭がないか、ほつれや穴がないか。そして、サイズがあっていること。(狙い通りであること) 最後に肌の色に服の色があっていてトーンが一定であること。
これらを守ればダサいと言う事にはまずならない。もし学びに時間が取れないのならば無印良品やUNIQLOでこのルールに従って服を選べばよい。 
さらに簡単に印象を良くするならばその日会う人の好みを考慮して服のジャンルを決めて与えたいイメージを明確にすることだ。

そこに自分らしさを求めるなら自分のファッションにおけるテーマをみつけるところからそれは始まる。


例えば私のテーマは
一見大道でクラシカルだがどこか現代的なエッセンスを感じるファッション。 

モード過ぎるのもヴィンテージ 感全開なのも気分に合わない。少しフォーマルな雰囲気を持ち、今からどのパーティーにでもギリ行けるがガチガチ過ぎず、肩の力が少しぬけたカジュアルさも持ち合わせたい。
中庸を意識している。三角形の中心を射抜き、妥協なく全ての要素の良さを生かしたい。

結果ブランド品になることはよくあるが、そのブランドを求めてきることはほぼ無い。特にロゴがあるものは着ない(そのブランドが私のスポンサーではないし、文字があるならそのメッセージの信者でなければならない)
テーマにそった色や服の雰囲気のルールを作って統一している。
顔と合わないので過度な柄ものも着ることはない。(基本無地)

似合う色を熟知、色の相性を理解
私の基本色は5色 緑(オリーブ)青(ネイビー)ブラウン(レンガ色) 白、黒、それらの中間色のみ。このルールを守れば極端な話、目をつぶって選んでもダサくはならない。


作り手の想いと情報
素材を知りこだわる、縫製される国にこだわる、どの時期に縫製されたかを知る。
服の形は安価なものでも他種多用に手に入る。しかし、素晴らしい服とは何が違うのか?それは一重に作り手の想いだと思う。細かい手縫いであれば人件費が上がるし、貝ボタンなどの天然素材を使えば原価が上がる。でも伝統や作り手のセンスに従って作りたいものを作った服にはなにかオーラのようなものが宿る。デザインがよくても生地やジップ、ボタンの質で購入をやめた事は多い。
また、安価な服の印象を上げる為にボタンを取り替えたり、直し屋にだして加工したりすることも何度もある。オーダーメイドでない限り完璧なサイズ感の服は少ない。自分のイメージを持ってカスタマイズする。

季節や天気、行く場所過ごす人やシュチュエーションに応じていつも妥協なく自分が理想と思えるその日の気分に合わせた服を着れる日々がなによりも幸せだ。

予算
金をかければ欲しいものはいくらでも手に入るがテーマがなければいくら金をかけてもファショニスタにはなれない。

シェイクスピア、ハムレットでの有名なセリフがある。
「服は自分の懐が許す限り上等なものを仕立てよ」っというものだ。
これには背伸びし過ぎも良くないっというメッセージも込められていると思う。予算を決めて自分自身にあった金額のものを揃えたい。
私はイメージを叶える為オークションや古着の活用もおしまないし、安い古い革靴などを磨き上げて復活させるアイテムも揃えている。良い物を安く買う為にも知識が必要で、ある程度ファッション業界のシステムを理解することが大切。  


人生において、社会生活を送る上で衣服を身につけない日はない。その全ての日に気のある相棒と納得できる時間を過ごすことは素晴らしい。
それを許される日数は日々減っていくのだから。

以上



これを読んでもらい、翌週会った時彼に言われた。




「えー やっぱり服はもういいです。
 かわりにモテ方を教えて下さい!」



知らんわ‼︎




おわり

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