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無秩序と信長とドラッカー      戦国武将達のヴィジョンとは?




天下分け目の戦いは関ヶ原の戦いという見方が一般的です。

しかし、僕は同時代であれば本能寺の変ほどのインパクトはないと思っています。

戦国時代は日本の権威も権力も失墜した時代とも言えます。争いは絶えず、法や道徳も日本を覆うほどのものは何も無い、、
戦い、騙し、奪い、が当たり前でむしろそれがこの時の正義でさえあったかもしれない、、

日本史上こんなことは弥生時代からありません。一度世が乱れることになれば一気に文化は衰え、仁義道徳は失われる。秩序というものは非常に脆く崩れやすい綱渡りなのだと思います。

そんなぶち壊れた世をさらにぶち壊したのが、
織田信長
この人を知らない人はいないでしょう。
何をしたかはわざわざ語りませんが、
彼が何をしようとして何が常軌を逸しているかをまず考えたいと思います。

このまま争いの世が続けばゆくゆく日本はほぼ確実に帝国主義国いずれかの植民地になる。
それを防ぎたいとかそんなことは信長は考えていません。
下級の大名であった織田家は初めは権威を頼ります。将軍を京都に連れていき、天皇に取り入ったりする。そして足利将軍では世を変えられないと分かり自ら天下を治めようとする。
戦が起動に乗っていくとピンチの仲裁役くらいにしか権威者を扱いません。一向一揆や比叡山で大量虐殺。そもそも無条件の虐殺行為は日本ではあまり例がないです。
力さえあれば将軍も天皇さえもいらなくね?となる。
これは彼が本質的に歴史を重んじることや道徳に興味がなく、利益至上主義だからです。この時点で金と力で全てが支配できると思いだしている。
確かにこの戦いの時代を終わらせるには彼のようなクレイジーな人が必要でした。秀吉、家康だけでは世の乱れはおさまらなったでしょう。信長あっての2人であることは間違いない。
安土城の天守は天主(てんのあるじ)と書くそうです。

自分を神よりも高い位置においた人は日本史には彼しかでてきません。(歴代各将軍は権力は天皇より上であったが権威では下の位置付け)

そして、この時代を考えながら同時に私が思うのは弥生時代に日の本を統一した神武天皇。神話としてしか出てきませんが、もしかして乱世をおさめる折にそれまでの縄文一万年の歴史を忘却して、同じようなことをしたのかもしれません。その真実は誰にも分かりませんが、乱れた世には更なる乱れによってしか治せないのかもしれません。

しかし、信長にはヴィジョンがなかった、、 
部下に夢を見せる力が弱かったのです。
戦に勝つ!という旗印以外に部下の心を繋ぐことは出来なかった。
恐怖による運営の仕方では人はついてこない。

戦国時代の文化人、教養がある面々は日本が壊れていくのが耐えられなかったが、何よりも戦いがない平和な世がくることを強く望んでいた。
ここまで考えると時の文化人である光秀の気持ちはよく分かる。
あの日はやるしか無かった。戦いを全て終わらせても信長は平和な世を築けない。それどころか終いには天皇さえも殺すかもしれん。と悟った矢先に織田親子が丸腰で大群率いた自分の目の前にいる奇跡的なチャンスがやってきた。このタイミングで本能寺行きの決断がなければ上記の通り日本自体なくなります。良くて全く別の国。悪くて植民地。

悩みに悩んで、、決行! 天下分け目の本能寺!突発的で無計画過ぎてその後のことまで考えて無かった、、、考えれなかった
仲間だと思っていた、筒井順慶も親戚でマブダチの細川藤孝も加勢にこない事態、、
この双方の大名は沈黙が得策だと僕も思います。

光秀 勝→ごめんですむ。

光秀 負→秀吉から悪くは思われない。

どちらでもお家存続できるなら→ないもしない

そして、結果光秀を倒す大義名分を得た秀吉が天下をとる、

秀吉は恐怖ではなく人望で人を束ねたが、結果関白という権威と戦いという旗印の元に統率する術しか知らなかった。戦いは得意でもやはり道徳的な部分が足りない。

だから、日本統一後、さらなる戦いを求めて朝鮮半島に行くしか無かった、、 

皆は内心戦にうんざり。

いつ平和くるんだよ!
天下統一してもぜんぜん平和はこない、、

そしてその需要に呼応してヴィジョンを掲げた人が家康です。
家康は勝利した後に日本をどのように平和な国にするかを熟考している。

天下泰平!
のヴィジョンに向かってどうするべきかのミッション(天下を統一し平和で安全、文化的な国を再興する!)ヴァリュー(侍以外刀なくす、幕藩体制で管理、平和の為鎖国する、学問と道徳で政治をする、、など)っと用意している。

歴史や論語を学び、朱子学で国をおさめた勉強好きの家康はたぶんドラッカーも読んでいる。
人望、計画、集中、知識、情愛、意識をバランスよく持って(手に入れて)満を持して戦いに挑んだ。
これを戦略や政治工作とも見る場合もあると思う。

おそらく富や権力がほしくて天下をとったのではなく、優れた知恵をもって末永く平和が続くことを目的にしていたので、天下をとる他に選択肢がなかったのだと思う。(天下統一は通過点)やれるのは俺しかいない! (ほかの武将は天下統一だけがヴィジョンだったから達成後のその先に導けなかった)

1人の人生にしてあまりに多くの経験をして、様々な失敗を見ている家康だからこそ長い平和を築けた。

これは信長、光秀、秀吉あってのことなのだ。


仁義道徳と優れたリーダーシップとマネージメント、日本古来の文化への信仰心。結果これが日本を外国の脅威から救ったのかもしれません。

いかなる権力もいずれ腐敗し滅びるのは常である。

いつしか形骸化した幕府は世界の変革と共に滅びた。
そして、再び戦いが始まった、、

いくつかの大きな戦争を終えてから

次は市場原理主義の戦いが現代の状態。

世の中が良くならなくても金を手にしたものが成功者だと思っている人は多いし、天皇をはじめ権威や歴史を軽視する人もまた多い。
ん?これは織田信長と同じではないか、、、今の世は血を流さない精神面での戦国時代だ。

これに終止符をうつのは道徳によって経済を潤し回し、持続程繁栄を目指す例えば論語と算盤のような考え方なのかもしれない。 

大河ドラマの2020年と2021年が明智と渋沢、そして、2023年は徳川家康。

この流れになんらかのメッセージを感じてしまう、、

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