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文身 (46-50)

今日は鍼供養の日ですね。この時期になると平地でも雪が降ることがあるのですが、今のところ山間だけで助かります。
けれど山に雪が積もった日は朝がとても冷たいです。やはり冬です。

さて昨夜は岩井圭也さんという作家の作品を読みました。
見出しを見られた方は「分身」と間違えたのでは、と思われた方もあると思いますが、こちらは「文身」です。

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好色で、酒好きで、暴力癖のある作家・須賀庸一。業界での評判はすこぶる悪いが、それでも依頼が絶えなかったのは、その作品がすべて“私小説”だと宣言されていたからだ。他人の人生をのぞき見する興奮とゴシップ誌的な話題も手伝い、小説は純文学と呼ばれる分野で異例の売れ行きを示していた…。ついには、最後の文士と呼ばれるまでになった庸一、しかしその執筆活動には驚くべき秘密が隠されていた―。真実と虚構の境界はどこに?期待の新鋭が贈る問題長編!(「BOOK」データベースより)

物語は、文学界で最後の文士と崇められた小説家 須賀庸一(すが よういち)の葬儀の場面から始まります。

序章で彼の生き様を投影したとされる諸作品によって苦労して、家族にしてみれば身勝手であり迷惑でしかない父の遺言により仕方なく喪主をつとめた娘に、程なく父が執筆したとされる原稿「文身」が封筒で届きます。

第一章からは須賀兄弟の生い立ち、弟の失踪、弟が小説を書き、兄の名前で発表し続ける兄弟の苦悩など、庸一の視点で語られ、終章で再度「文身」を読み終わった娘の視点に戻ります。

私小説や半自伝的といわれる物語の「どこまでがフィクションなのか?」「現実と虚構の線引きは出来るのか? 」「そもそも線引きする必要があるのか? 」という「私小説」というジャンルの意味を問い続け、文体は淡々としていますが、弟の堅次が描く物語に一度読み始めると、ページをめくる手を止めることができず、のめり込んで読んでしまう力強い作品です。

「文身」という言葉は、辞書的な意味としては「刺青」のことです。
消せない身体の刻印のことでもあり、本作では、刑罰のしるしの意味もあると思われます。

娘に送られてきた原稿と共に入っていたメモが、意味深です。

最後の文士になる準備はできたか


作品の良し悪しより、こういう小説の好きか嫌いかで評価が分かれているようですが、私としては高評価をあげたい作品でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日もお疲れさまでした。人の生き方はそれぞれですが、納得の行く人生を送りたいものですね。

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