見出し画像

昨日星を探した言い訳(36-50)

昨日はこちらでも最高気温27度近くを記録し、暖かい1日でした。次第に雨模様となり、今日以降気温は平年並みに戻るらしいので、体調管理がとても難しいですね。

今日紹介するのは「いなくなれ、群青」の河野裕氏の新刊です。

画像1

自分の声質へのコンプレックスから寡黙になった坂口孝文は、全寮制の中高一貫校・制道院学園に進学した。中等部2年への進級の際、生まれつき緑色の目を持ち、映画監督の清寺時生を養父にもつ茅森良子が転入してくる。目の色による差別が、表向きにはなくなったこの国で、茅森は総理大臣になり真の平等な社会を創ることを目標にしていた。第一歩として、政財界に人材を輩出する名門・制道院で、生徒会長になることを目指す茅森と坂口は同じ図書委員になる。二人は一日かけて三十キロを歩く学校の伝統行事〈拝望会〉の改革と、坂口が運営する秘密地下組織〈清掃員〉の活動を通じて協力関係を深め、互いに惹かれ合っていく。拝望会当日、坂口は茅森から秘密を打ち明けられる。茅森が制道院に転入して図書委員になったのは、昔一度だけ目にした、養父・清寺時生の幻の脚本「イルカの唄」を探すためだった――。総理大臣になりたい少女とすべてに潔癖でありたい少年の純愛共同戦線!(Amazon内容紹介より)

物語は茅森良子と坂口孝文の2人の視点を交互に、そして主に3つの時間軸を前後しながら語られます。

作中で差別をテーマとして扱い、差別される人間を緑の目の人間と表現するという、とてもメッセージを持った作品です。そして全体を通して正しい事とは何かという事を哲学的に複数の登場人物の視点で表現しています。

日本の歴史において今に至るまで完全に解決できないテーマは深く考えさせられる物なので、登場人物の年齢設定に無理が見えたり、また思考的な描写に比べ、心理的な描写や背景の不足、登場人物が台詞を言わされてるだけ、という感じもあって、最終的な著者のメッセージは弱まってしまったように思います。

良子と孝文の良きアドバイザーである中川司書教諭が、良子の養父で、熱烈なファンとして登場する清時時生という映画監督を語った

「才能というのは、前提の在り方みたいなもんじゃないかな」

差別の歴史の描写として


15世紀末の100年ほどで緑色の目の人たちの一部が山陰地方の片隅で細々と暮らした。p98

良子と孝文の恋心に足の不自由な綿貫が放つ言葉

「勇気はチョコレートに似ている」「甘いだけでないんだよ。苦味も混じっている」
「たぶんー愛っていうのはなんだって、たった一ひとつの言葉を忘れるための過程なんだ」

ただ中高生の読者層を強く意識しているのでしょう。

人が文学の中で憧れを抱くような学園の中で出会う少年と少女。ライバルか、共犯者か、親友かでも恋人ではない。片方はかなり早い段階から恋をしていて、もう片方はいつから恋だったのか。はじめから片方の存在を知っていたほうが先に恋に類するものを抱いていたのではないか。そういう繊細な描写によって描かれた恋心はシニアの私もドキドキさせられました。

著者の恋愛観が見え隠れして、若い方はこちらに気持ちを寄せて読み、感動されるのだなと思いました。

私としては主人公たちの差別に向かった先が知りたかったですが、若い方に向けて問題提起できている点は評価できるし、今後に期待したいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。週末に入りました。

あなたにとってかけがえのない1日となりますように。

バックミュージックはこちらでした。



いつも読んでいただき、ありがとうございます。これからも励みますね。