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考える精神は、誰のものでもなく、不滅です(42-50)

今年の夏、書き下ろしを加えられて新たに編成され出版されたとのニュースを読み、図書館の蔵書を調べました。

流石に私の住む田舎町の図書館の蔵書にはありませんでしたが、県立図書館の蔵書に入っていて、借りられるとのこと。8月の新刊を読む前に一度読んでみたかったので、相互賃借という形で借りていただきました。

その作品がこちらです。

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「私には個人の意見というようなものはない」―では、彼女の言葉はどこからやって来たのか。「池田晶子」とは、いったい何者か。突然現われて去った孤高の思索者の、言葉と存在の謎に迫る。(「BOOK」内容紹介より)

著者若松英輔氏の名前は、以前NHK Eテレで放映中の「100分で名著」で知りました。

それ以降氏の作品を読みたかったのですが、町の書店にも図書館にも置いてなくて、注文で読むという勇気も出ず今回まで先延ばしになっていました。

それが今回新たに出版されたのがこちら

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素手で概念と格闘し、自分の言葉で思考を紡いだ「哲学の巫女」、池田晶子。謎めいた思索の軌跡を批評家が丁寧に解きほぐし、「哲学すること」の喜びと意義を探究した『池田晶子 不滅の哲学』(トランスビュー発行)に、書き下ろしの一篇「不滅の哲学」を加えて編んだ決定版。(「BOOK」データベースより)

実際に読み始めて、著者の池田晶子氏に対する想いの深さを感じていますが、貸出図書では読みきれない内容だとすっかり落ち込んでいます。とても難しいのです。

目次を上げてみます。

第一章    孤独な思索者
第二章      月を指す指
第三章    哲学が生まれるとき
第四章    絶句の息遣い
第五章    言葉と宇宙
第六章    常識と信仰
第七章    思い出すということ
第八章    内語の秘密
第九章  「私」とは考える精神である
第十章    夢の向こう
第十一章 言葉はそれ自体が価値である

著者が池田の「私とは何か」の中から引用した

哲学が、あらためて入門を要するような特別な何かだとは思ったことがない。むしろ、それは、生きていることこそが、非凡な経験だと気づく瞬間のことだと思っている。

この言葉に励まされ、読み進めると著者がこう続けています。

哲学を経験するために、私たちは学校で「哲学」を学ぶ必要はない。
(中略)
私たちが「読む」べきは、どこまでも哲学者を通過するコトバなのである。

さらには第四章冒頭の言葉も私が読書していくための教示のようです。

読むことにふれ、読むためには、ときに本を閉じ、活字を追うことを止めなくてはならない、とでも言いたげなのである。

そしてその池田氏の言葉とは、

読むとは絶句の息遣いに耳を澄ますことである。『リマーク』

というのです。

この章あたりから苦しくなって、再度最初から読み直しています。

哲学とはこうも難しいものなのかと改めて突きつけられましたが、私の年齢なら今までの実体験、読書体験でもう少し掘り下げることができるのではと気持ちを強く、ページをめくっています。

明後日が返却日なので、購入してじっくり年末年始も視野に入れ読み倒そうと考えています。

最後になりましたが、見出しの言葉はあとがきにて著者が題名の由来で紹介されていた、池田氏の遺書「人生は愉快だ」に記された一節です。

今日は中途の感想になり、申し訳ありません。できればこういう本も皆さんに読んでいただくて、恥ずかしながら紹介しました。

いよいよ11月も明日で終わりですね。今夜はゆっくり英気を養って、来週も元気で過ごされますように。

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いつも読んでいただき、ありがとうございます。これからも励みますね。