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わたしがClub Polyculture Tokyoをつくったわけ(2024年6月3日)

※2024年6月3日に開催したイベントの参加レポートです。

ポリカルチャー(polyculture)とは、多様な生物が共存する自然環境にならって、1つの場所で複数の種の作物を栽培する農業手法のひとつ。

しかし、”Club Polyculture Tokyo”は農業に関するコミュニティではありません。

メンバーによる会合のテーマは、日本とフランスのチーズ比較テイスティングや、オリンピックについて語りあう会、LGBTの勉強会などなど。文化の多様性を軸に、多岐にわたって催されています。

「どうしてClub Polyculture Tokyoをつくったのか、と聞かれたとき、やっぱり自分のことに触れざるをえないんです。自分の心象風景や、生きてきた時代の空気感とか」

そう語るのは、天野芳彦さん。映し出されたスライドには英文が並んでいます。

「ぼくね、肝心の部分って日本語が出てこないんですよ。英語とかフランス語になっちゃう。キザでやっているわけじゃないです笑」

慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社電通に入社。キャリアを積むかたわら、インシアード欧州経営大学院では経営学を、立教大学大学院では異文化コミュニケーション学を修了。

しかし、これらの経歴は、天野芳彦という人物を構成する多面的な要素のほんの一部。

Club Polyculture Tokyo=東京多色文化の会。人生を通して文化と多様性について探索してきた天野さんが、多文化交流と知的ネットワークの構築を目的として立ち上げたものです。

「今日伝えたい大事なキーワードは”たすき”。箱根駅伝があるでしょう。あのたすきには、汗や100年も続く伝統がのしかかっているわけです。走っているひとは苦しいけど、それをつなぐためにやっている。たすきをつなぐことに意味がある」

「ぼくの話をきいて、たすきをつなごう、という気持ちになってくれるだけで嬉しいです」

自分をつくる、縦軸と横軸

「Who am I? わたしは誰か。これ、皆さん自分にきいてみてください。すぐに答えられる人っていないんですよ」

出身は、大阪の船場。1955年生まれ。青春時代を過ごした60~70年代、世間では学生運動が盛んに行われ、フォークソングが流行していました。

「当時は地元のことが嫌いでした。どうやってこの、偏狭な環境から脱出できるのかってことしか考えていなかった。ぼくは東京が好きだし、パリも好きだし、ミラノも好きだし、ニューヨークはもっと好き。拡大志向なんです」

望んでいたのは、自身の精神的国籍から自由になること。「世の中の”余白”に存在し、反抗的に生きることに夢中だった」と振り返ります。

「フランス語では、”marge”。英語だとmarginal。この”marge”には、反逆者みたいなイメージがあって。そういう、marginalなひとたちと仲良くなることが多かったです」

より多くの面白い人・刺激的な人・創造的な人・個性的な人との出会いをもとめ、ときには世界へ行動範囲を広げ、世の中の”余白”と交じりあっていきます。

「Marginalってなんだったのか。今思うと、僕にとって色んな見方を与えてくれたものだなと。体制の中にずっと浸かっていたら見えなかったものが、たくさんあるのではと思います」

「経験、人との出会い、もの。それから時間とか空間とか、全部自分の中に詰まっているんですよ。そして、自分のお父さんから、さらには10代も上の先祖からも引き継いだものがある。この横の軸と縦の軸で我々は成り立っているんです。そのことを、ぼくはずっと考えてきた」

「自分というのは、記憶や思い出の集積地なんです」

コミュニティ設立に至った理由

Club Polyculture Tokyoが生まれたのは2001年。このとき天野さんは46歳、10年間の欧州駐在を終えて日本へ戻ってきたころでした。

「(日本の職場に戻って)日本社会の単一文化に、耐えられないなって思ったんです。40代特有の名声欲とかね。組織の中での出世とか評価とか、こういうのめちゃめちゃ嫌いだなと思う。17歳のときからずっと思っていましたので、同調圧力というものを破れないだろうかって」

画一的で、肩書へのこだわりの強い日本社会の空気感に、嫌気がさしてしまった天野さん。

「これはポリカルチャーを、自分で作るしかないなって思った。所属企業とか家系だとか学歴だとか、そういうものに根ざして人のことを『こうだ』と決めてしまう社会はちょっと違うんだと」

”モノカラ―(単色)”ではなくポリカラー(多色)な人たちが、あくまでも個人としてポリカルチャー多色文化的に繋がれる「場」を提供できないか。”

この思いをこめて作られたClub Polyculture Tokyoが目指すのは、いわゆる異業種交流会のようなものとは別物です。

「それぞれの所属から出てきて、お互いに利益を得ようとコネクションをつなぐのが異業種交流会。ぼくがやっているポリカルチャーは、そういうつながり方を否定したところから入ってるんです」

単なるサラリーマンの勉強会にはしない。損得は持ち込まない。

国籍・言語・性別・職業・社会的階層によるボーダーを取り払ったうえで、ひとりの人同士で自由な表現や意見交換ができる「知的文化サロン」をつくる。

これが、Club Polyculture Tokyoの設立に託された思いでした。

多色文化(ポリカルチャー)社会を目指す

生涯、学び・考えることをやめない天野さん。ヒトの文化の多様性と、それを個々人がどのように受け止めるのかは大きな研究テーマです。

「内にある多様性を育むことで、いかに創造性を獲得できるかに興味があります。で、それを理論化できればいいなと思っているけど、なかなか難しいんですよね」

多文化社会を望む背景には、キャリアで得た経験もあります。長年の欧州駐在や、監査室部長として担当した電通の全海外子会社の監査などを通し、多種多様に異なる国・地域・人種・コミュニティをその目で見てきました。

「多文化社会を研究して何になるのっていうと、やっぱり最終的には『これからの社会はこうある(多文化社会である)べき』だって言えるようになりたいなと思うんです」

「マルチナショナルやマルチカルチャーともちょっと違うんですよ。もちろんこれらも含まれているんだけど、それだけじゃない」

「単眼でものごとを見るな、ということを伝えたい。日本だけじゃなくて、全世界を多色文化的に塗り替えたいという、得体の知れない個人的使命感みたいなものは、今もあります」

世界は変わってきているのか

「異文化を尊重しろって、そんなのはわかってる。そうみんな言うんです」

他者を尊重する。とくに近年、ポリコレ(ポリティカルコレクト)意識の高まりは、テレビや映画などエンタメを通しても身近に感じるようになりました。

しかし、天野さんは世間にいまだ残る、透明化された差別意識に切り込みます。

「1998年、サッカーW杯でフランスが優勝したとき、みんな『多文化の勝利だ』と言いました。チームの中には色んなルーツをもつ選手がいた。あのジダンも、白人に見えますが実際はベルベル人です」

サッカー界のレジェンド、ジダン。そのプレイもさることながら、多くの人の印象に残るのが2006年の「頭突き事件」ではないでしょうか。

イタリア代表とのW杯決勝戦で、相手選手のマテラッティに頭突きを食らわしたジダン。一発退場となり、そのまま試合前に公言していたとおり、現役を引退しました。

「このイタリア選手が、ジダンの母親について差別的なことを言ったんです。それで、ジダンはめちゃめちゃに怒った」

「なぜそんな差別的な発言が出るかといえば、偏見があるからです。フランスに来ている移民は、訳ありで逃げてきた人々だって。ジダンのやり方はよくないけど、その心情はとてもわかります」

”多文化の勝利”から8年が経った時点でも、にじみ出た偏見の色。

そしてそれから12年後の2018年、フランス代表は再び世界の頂点に立ちますが、このときの出場選手リストにも疑問を呈します。

「全員、”フランス人”として発表されている。でも実は、ギニアやコートジボワール、トーゴなど、みんな色々なルーツをもっているんです。この実態をマスキングして、フランスはすごい、団結力がすごい、ということを言っている」

「フランスでは、フランス語がしゃべれて、フランス人として行動している範囲ではこの国の人間だと認められます。でも、実は水面下ではまだあるんです、支配者意識が。だから移民である彼らに対して、自立するのを認めないんですね」

表面的には手をとりあっていても、長年蓄積された差別や偏見は根深い…2018年のエピソードとはいえ、決して”過去の話”ではありません。

自分にとってのポリカルチャーとは?

地球の裏側とも、オンラインで簡単につながるようになった今日。それでもわたしたちにはまだ、自分と異なるものへの偏見・差別・嫌悪などが残っています。

色とりどりの文化が存在するこの世界で、より良い社会を築くため、わたしたちが意識したいことは何でしょうか。

「ここでちょっと、学術的な話。英語のenculturation(※1)とacculturation(※2)って、意味が全然違うんですよ」

※1 enculturationの意味
”周りの文化の行動パターンを取り入れること”

weblio英和辞典・和英辞典より

※2 acculturationの意味
”(異文化の接触によって生じる)文化変容、(子供の成長期における)文化的適応”

weblio英和辞典・和英辞典より

どちらも異文化に対する向き合い方をあらわす言葉です。

「Enculturationは自分で受容する。Acculturationは変容させる・違うものにするっていう意味があって。これは、今日の話のキーコンセプトとも重なってくるんです」

文化の交わりも、ヒトが営むコミュニケーションのひとつ。

コミュニケーションとは情報の伝達であり、そこには常に送り手側の視点と、受け手側の視点があります。

「コミュニケーションの志向性には4種類ある。片立型、両立型、同立型、創造型。一番aufheben(※3)なのは創造型です。創造型のひとばっかりだったら、争いは起こらないわけですよ」

※3 auhuheben(アウフヘーベン)の意味
“ヘーゲル弁証法の基本概念の一。あるものを否定しつつも、より高次の統一の段階で生かし保存すること。止揚。揚棄。”

コトバンクより

創造型のコミュニケーションは、それぞれの要素をミックスして新しい価値を生み出します。

「縦軸と横軸がある、と言ったじゃないですか。縦軸は時間。自分の親やご先祖様、先輩から受け継いだ文化を受容していく。この軸は絶対、崩せないんですよ」

では、どこで創造型のコミュニケーションが生まれるのでしょうか。天野さんはそれを、同じ時代を生きる者同士のつながりや交流にあると言います。

「ぼくらで言うと、ビートルズやボブディラン。社会的に同じ時間を過ごして、めちゃめちゃ影響を受けるわけです。だから縦軸と横軸、両方で自分を作っているんです。当たり前のことなんだけど、意識しない」

縦軸は、通時的文化受容。前の世代から引継ぎ、受け入れていくもの。

対する横軸は、社会学的な視点では文明化=共時的文化変容が起こり得ると考えられます。

それはつまり、他者や文化・食・芸術など、いま同じ時代を生きるあらゆるものとの出会いと交流が、私たちの内面を豊かに彩る可能性を秘めているということ。

相手を変えよう、従えようとするのではなく、外的に受けるあらゆる刺激を糧に自分自身を進化させていけたなら。

「ぼくが言うところのポリカルチャー人というのは、自分の中のダイバーシティをちゃんと育んでいて、他人とも協力して何かをできるひと。やっぱり、こういうひとがたくさんいたらいいなと思いますし、そういうひとをプロデュースしたいと思って23年間続けてきたんです」

Club Polyculture Tokyoは、年齢も国籍も性別も地位も、すべて関係なく参加可能。天野さんとその仲間たちは、知的好奇心を共有し、たすきを託す相手をいつでも歓迎しています。

Club Polyculture Tokyo(東京多色文化の会)Facebookページ
https://www.facebook.com/groups/polyculture/

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