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豊洲市場の歴史・歩き方(2024年3月22日)

※2024年3月22日に開催したイベントのレポートです。

東京都中央卸売市場、通称・豊洲市場。

この場所にほれ込み、通いつめ、ついには”案内人”にまでなってしまった方がいます。

1日4000アクセス以上集まるグルメブログ「いいね~おいしいね~」を運営する、BAR IAPONIAの大常連・森明彦さんです。


2015年、築地時代から、足繫く市場に足を運ぶ森さん。

自ら立ち上げたFacebookグループ「豊洲市場へGO♪」では、月に複数回、森さんのガイドで豊洲市場をめぐり、グルメを楽しむイベントを主催しています。

「最初は、”築地の歩き方”っていう雑誌の特集を読んで、『面白そうだな』と、家族で出かけて。行ってみると、かなり深い世界だったんです」

「それからよく行くようになりまして、今度は友だちが『自分も行きたい』と言うから連れていく。それが今、600人を超えるつながりになって、みなさんを案内しているんです」

江戸時代の始まりにまでさかのぼる市場の歴史、近年新たに生まれた魅力を教えてもらいました。

日本橋から始まった、魚河岸の歴史

「豊洲の前は築地に市場があったのは、皆さんご存知だと思うのですが。実は、さらに昔、日本橋から始まったんです」

1644年頃に誕生した日本橋の魚河岸。そのはじまりには、本能寺の変との関わりがあります。

信長が討たれたあと、水路で堺を脱出した家康。そのとき船を貸した佃村の恩人たちに報いるため、彼らが隅田川河口近くの佃島(現月島)で、漁業権と年貢を免除のうえ江戸城や大名へ魚を売れるよう取り計らったのでした。

江戸時代、1日で千両のお金が動いたといわれるのが、吉原、歌舞伎、そしてこの魚河岸。この数字を聞くだけで、当時の日本橋の活気が目に見えるようです。

三ヵ所はそれぞれに交流があり、今でも市川團十郎は、歌舞伎座での公演の際に魚河岸会から江戸紫の鉢巻を受け取っています。

盛況は維新後も引き継がれ、明治時代には、牛丼の吉野家が日本橋魚河岸での営業をはじめました。

「ほかにも、インドカレーの店舗がこの頃できて、今でも豊洲に残っています。ハイカラな料理もある、まさに食の中心地だったんですね」

変化が訪れたのは1923年。関東大震災です。日本橋での市場営業が難しくなり、やむなく移転。それで築地に…と思いきや、その前に一旦、芝浦へ移ります。

「震災の16日後には芝浦での営業が始まった。でも、ちょっと狭くて遠かったので、築地に移ったんです。当時の市場には、1日1万人も来ていたんですよ」

「築地っていうのは、”地面を築いている”土地、埋立地です。明暦の大火のあと、あまりにも江戸の街に建物が密集していたんで、それをバラけさせるために埋め立てられた。武家屋敷や大名屋敷が移転して、松平定信の下屋敷もここにありました」

明治時代、築地は海軍発祥の地となり、その後昭和9年に築地市場が開業します。

当時、輸送手段のメインは鉄道。各地で獲れた海産物を運ぶため、敷地内まで線路が通り、貨物駅も設置されました。

「戦時中は、せりは中止。市場は配給の拠点になりました。で、戦後はですね、実はGHQの洗濯だったそうですよ」

配給制が終わり、市場がようやく復活したのは昭和25年のことです。

1952年、GHQによる漁船の活動範囲制限が解かれると、遠洋マグロ漁が一気に活発になります。実は、森さんの祖父も南氷洋のマグロ母船の船長だったのだとか。

「ただ、1954年にビキニ環礁の水爆実験事故があって。被爆の影響で、2トンくらいのマグロやサメが廃棄されたんです。いまも築地の一角には、このときの魚が埋められています」

この事件によって日本では魚の消費量が落ち込み、市場にも大きな打撃が与えられました。

しかし、その後の高度経済成長期には東京の人口が大きく増え、市場の取扱量も拡大。輸送のメインは鉄道からトラックへと替わります。

そして紆余曲折を経て2018年、東京中央卸売市場は豊洲へと移転。

「築地から豊洲への移転のとき、水質汚染の問題でもめたじゃないですか。でも築地も築地で、アスベストの問題があったんです。だから早く出て行きたかったんですね」

現在、築地市場のあった場所は更地に。今後はスタジアムの建設が計画されています。

明日にでも行きたくなる!豊洲市場の楽しみ方

2018年10月11日から取引がスタートした豊洲市場。

その水産物の取引量は世界一!一番取引重量が大きい魚は、冷凍メバチマグロです。

また、水産だけでなく青果も取り扱われています。

「朝は早くて、2時くらいからどんどん、品物がトラックで運ばれてくる。せりも行われます。せりは事前申込の抽選制で見学できますけど、ほとんど外国の方しか来ないですね」

「せりはね、あっという間に終わっちゃうんです。手やりっていう、ハンドサインでやりとりが行われるんですけど、言葉で何か言っていても、見学者にはさっぱりわからない。本当に早くて、10分くらいで終わっちゃうんです」

取引された水産物や農産物は、仲卸売場棟へ運ばれます。

ここで耳より情報が。なんと、一般の方はなかなか入れないこの仲卸売場、森さんに連れていってもらえば入場できるとのこと!美味しい魚をお得に購入できるチャンスです。

グルメな森さんが案内する豊洲市場ツアー、なんといってもお楽しみは朝からおいしいお寿司を食べられること。

「いちばん人気は『寿司大』。外国の方も大勢来ます。6時からお店が開くんですが、1順目に並ぶには、やっぱり朝の3時半くらいから行かないとだめですね」

朝の3時半!?その時間に並ぶには、いったいどれだけ早起きしなくてはいけないのか…もはや徹夜で向かう勢いではないのか…

「これでもまだ、ゆっくりになったんです。築地のときは2時くらいに到着して、お店に入れたのが8時くらい。それに比べれば楽になりました。ここは本当にいいマグロを出します」

しかし、豊洲に通い詰める森さんがもっともおすすめする”推し寿司屋”は、寿司大から2軒となりの「晶」。

「季節のね、本当においしいネタを仕入れています、『晶』は。一貫一貫が大きくて、ちょっといい特選コースは9800円。12貫4800円のコースもあります」

森さんが見せてくれたある日の「晶」の写真。

「最近は春の特選をいただきました。春ですからね、貝とかもめちゃくちゃおいしかった」

森さんおすすめの名店は、寿司屋だけではありません。

「『岩田珈琲』のホットサンドもおいしいし、97歳のおばあさんが毎日生地からつくってピザを焼いているイタリアンの『トミーナ』もぜひ行ってほしい。甘味もありましてね。『茂助だんご』のお団子は、歌の『だんご3兄弟』の元ネタなんですよ」

いま豊洲にある飲食店の多くは、築地から移転してきたお店。明治から続くインドカレーの『中栄』も、今なお豊洲でお客さんを迎えています。

ほかにも、プロが使うような質のいい品を扱う道具屋さんや、一流寿司店御用達の海苔屋さん。卵焼き、日本茶のお店などでのお買い物も魅力の一つです。

「青果仲卸のほうもよく行きます。珍しいくだものが、安く売られていたりしますよ」

そして、豊洲のニュースポットといえば、2024年2月、場外に新しくオープンした『豊洲先客万来』。

江戸の街並みを再現したようなショッピング・グルメエリアと、温浴施設を楽しめます。

「オープンの日に行きましたが、すごい賑わいですね。若い人もたくさん来ている様子でした。はとバスでツアーも組まれているみたいです」

築地時代から、豊洲市場の新旧を知り尽くしている森さん。ここまで、この場所に惹きつけられる理由とは。

「なんといっても、美味しいし楽しい。一流が集まる場所だから。何度行っても、飽きないですね」

森さんのブログ「いいね~おいしいね~」はこちら
https://blog.goo.ne.jp/good-tasty

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