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子どもの中にダンスを観る

一糸乱れずに動くようなダンスがあまり好きではない。
誰が居るのか分からないし、そこにいない別の誰かや何かがチラつく。

もちろん、その作品を踊りきるにはその人でないと出来ないのだろうけど、この「自分無くし」みたいな事を、観るのもするのも、どうも僕は好きになれない。

個が見えてくるダンスがいい。
ソロもいいけど、揃ってなさそうなのに、なんだか揃って観えるのもいい。
個と個なのに、境界が無くなったりして、あれ?と思っていると、個々にに戻る感じ。「人間が踊っているなあ」と思う。

子ども達が踊っているのを観る時、同じように感じる。
例えば、音楽が流れて。
例えば、水溜りを見つけて。
まあ、なんでもいいんだけどなんだが楽しくなって。
踊りは突然始まって、共鳴して、バラバラなんだけど、なんだか一緒で。
あ、でもこれは、踊っていなくても同じか。
子どもは日々、踊っているように観える。

でも、いつのまにか踊りは変わって、踊るなら誰かに揃えたくなる。
そして、そもそも踊らなくなる。

この時はなにせ、他にも色々やらなくなる。
謎の歌も歌わなくなるし、床に寝転んで絵も描かなくなるし、泥とか水溜りとか飛び込まなくなるし、机の上に立ってジャンプしたりしなくなる。

つまんないんだけど、そうした方が良いみたいなんだよね。
どうやら。
まあ、でも、つまんないよね。それじゃ。


だから、多分、また踊り出しちゃったんだなあ。
僕は。


今、日々出会う子どもの中にダンスを観る。
踊るって、ああ、人間!

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