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本当は「偉い人」なんていない

 「俺を誰だと思ってる! 〇〇の社長だぞ!!」

 私が空港で働いていた時、そう騒ぐ中年男性が居た。

 手荷物検査に引っかかって、ポケットの中を出してくださいだとか、ベルトを外してくださいだとかお願いしていた時のことだ。直接私が相手していたわけではないが、そんなことを言う人間が漫画以外に居るのかと驚いたのを覚えている。

 彼は、きっと狭い世界の中で生きてきたのだろう。狭い世界、会社の中で偉くなって、誰も自分に逆らわなくなった。その狭い世界が世界の全てなのだから、世界中の人間は彼にとって自分より「下」の人間なのだろう。

 しかし、私にとってはただの「客」だった。

 確かに会社の中では偉いのだろう。たしかに、会社の中では偉いのだろう。だが彼は会社の外に出れば一人の人間でしかないことを知らない。私は殴り合いなどしたことはないが、きっと殴り合いになったら私の方が強いだろう。ただの生物として見たら私の方が強いのだ。多分ゲームも私の方が上手いし、歌も私の方が上手いかもしれない。

 では彼は、何が偉いのだろう。

 彼だけではない。「偉い」とはなんなのだろうか。

 「公務員になったの? 偉いねぇ」
 「大企業に就職して、結婚して子供もいるの? 偉いねぇ」
 「頑張って勉強して、有名大学に合格したの? 偉いねぇ」
 「会社を立ち上げて社長になったの? 偉いねぇ」

 これらは全て、社会的に認められることをしたに過ぎない。

 しかし、社会的に認められることをすることは偉いのだろうか? 私から見れば、みんな非難されることを怖がっているだけに見える。

 無職になるのは怖い。誰かに馬鹿にされるから。
 良い大学に行きたい。誰かに馬鹿にされるから。
 高い立場に立ちたい。誰かに馬鹿にされるから。

 みんな必死で嫌なことを避けて、好きなことをしようとしているだけじゃないだろうか。そこに本当に優劣はあるのだろうか。

 長く会社に勤めていると「ずっと頑張って偉い」なんて思われることがあるが、それは辞めるのが怖くて、続ける方が楽だっただけではないだろうか。

 私は歌が好きだが、歌など見方を変えれば変な音程をつけて変なリズムで喋っているに過ぎない。たまたまそんなことが認められる世界だっただけだ。アーティストはすごい人間と思われるかもしれないが、ただ好きなことをしていてそれが金になっただけかもしれない。

 私たちはきっと、たまたま与えられたビンゴのカードを持って、自分が持った数字が誰かに読み上げられるのを期待しながら、たまたまビンゴが揃うのを待っているだけなのだろう。嫌なことを避けながら、まだマシの方を選びながら、その道が正解だと誰かに言われるのを待っているのだ。

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