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子育ては豪華

子育ての真っ最中でその価値を正確に、客観的に見極めることはとても難しい。子育てという言葉だと一方的に子どもをペットのように育てているような単語だが、親もその中で育たないと到底成り立たない。自分のことだけで良かったところから、生活のすべてを自分が一番から外すことができる人へ進むのが親だ。それは言葉上では出来そうだが、それは簡単ではない。例えば睡眠欲。一晩ではなく、連続何日まで睡眠欲に打ち勝ち、子どもの要望にそって対応してあげれるだろうか。夜だけでなく朝、昼と続くとしたら。。

自分が一番でなくなることが元々自然とできる人はいるので、そういう人は大変さも内包して穏やかさが宿っている。勿論、それに余るほどの幸せが子育てにはある。毎日一緒にいて、同じことは起きない。トリッキーで酔っ払いみたいだと中島らもは言っていた。よく笑う。よく走る。よく喋る。よくくっついてくる。どれもこれと替わりになる楽しさ、喜びが思いつかない。

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結婚については賛否両論があってしかるべきだと思うが、子どもを授かることについて、子どもと暮らす生活について、本当に豪華なことだと思うので、オススメだ。子どもの成長とともに暮らしていると、創造力を駆り立てる、生と死をもっと身近に考えるきっかけとなる、子どもの変化のスピードがはすさまじく速く、日々何かが出来なかったことが遠いところへいき、塗り変えられていくのを目撃できる。

道しるべのひとつとなるのが親だろう。特に幼少期は親と子はべったりそばにいる。いたほうがいい。双方にとっていいと思う。子どもはそもそも一人じゃ何もできないから親のそばにいなきゃならなし、沢山の愛情を糧にしている。太陽を沢山あびる植物のようなもので沢山がいい。性格は根本的には変えられないかもだが、愛情が性格の固体を緩やかに破壊することを助長する。

子どもとあまり一緒にいれない、キャリアなお父さんやお母さんが沢山いる。所有しているもの(家や車)や将来の為(教育費や老後)に、子育て時期は、社会的には一番頑張らなきゃいけない年代でもあるので、苦渋の判断もあるだろうし、それで得れる対価も変え難いものだから、役割を果たしている。
でも欧米のように、育休やテレワークがもっと普通であれば幸せを暮らしの土台から感じられると思う。幼少期に一緒に過ごす時間が少ないとして、でも濃い付き合いが出来ていたとしたら親離れ子離れするときも、よい距離感での親子付き合いは続いていくんだろうが、それができていないと帳尻を合わせるのはさぞさぞ難しかろう。マザコンや母親と友達のように付き合える親子が多く誕生できるのも、母親の時間的に子どもに注いだ愛情の時間による賜物な気がする。父親を最終的に尊敬している人もたまには会うけれど、嫌いや苦手な人が圧倒的に周りに多い。父親のライフステージの変遷はちと悲しさも感じる。

これらは、コロナのだいぶ前、2018年に書いた日記だ。
コロナの影響で家ばかりで過ごした4か月間は、人間の家族としてまともだったし、家の中は沢山の良いやり取りばかりがあった。下の子は俺と夜寝るようになった。近所の子供やその家族と仲良くなった。畦道を散歩して虫を見に行く時間も増えた。喧嘩の量は家のいる時間に比例したりしていない。愛し愛されて過ごす時間を持てたことだけは、一生の宝物になるに違いない。夢だったらさめないで。

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