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『いたい』

下北沢の駅を一つ通り越して
わざわざ池の上で降りて静かな道を
下北沢へ向かって歩く
あの賑やかで明るくて若いエネルギーが
密集している光景が今の僕は見たくなかった
道端で立ち話しているグループも
カフェの中で見つめ合うカップルも
あの日の僕らが重なるのが嫌だったから

30人でいっぱいになる様な小さなライブハウスで
僕は目立たないように一番後ろの席に座る
客席と同じ高さの薄暗いステージには
アコースティックギターがポツンと置いてある
あの子のギターだ

「別れても応援するから」

精一杯の強がりを証明するために
僕はここに座っている
君の歌声が好きなのは今も変わらない
繋いだ手が離れてしまった君を見るのが辛いだけ

これまでは君の歌を聴きにきた客の中で
自分たった一人だけ特別な存在で
モノクロの中で自分だけ色付いている感覚だった
でも今日は自分もモノクロの一人だ

ライブが始まると君はいつものように
自分の世界に浸っていった
この曲がどう生まれたかも知ってる
何枚もノートを破いて歌詞を作る姿も見た
コードを間違えたのにも気が付いた

「最後の大切な人を思って作った新曲を歌います」

その言葉に心臓が掴まれる
期待のような何かで座っているのに
浮いているような感覚に襲われた

普遍的なバラードが始まると
思い出をめぐるような歌詞が君の口から溢れる

いたい

僕に傷つけられた事を歌って欲しかった
僕を傷つけた事を歌って欲しかった
僕と過ごした日々を歌って欲しかった

もうそれ以上僕の知らない人のことを歌わないで

最後の曲が終わる前にライブハウスを出た
ポケットに手を入れると入場時に買う
ドリンクチケットが一枚出てきた
ライブハウス以外では使えない
そのちっぽけな存在はまるで今の僕のようだった

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