自分を守ることは他者も守ること。

求められるコミュニケーション

私たちはいつも、単純明快でわかりやすく率直なコミュニケーションを求められる機会が多いと思います。相手の立場に立って考え、その人に合わせた表現を選択しなければ想いは受け取ってもらうことはできない。ビジネスでは鉄則ですよね。
学校生活や友人関係の中でも、その場の空気を読み、皆と一緒にその場を創り上げる力が求められますし、役割や場に適したふるまいや言動が求められています。
でも私は、私の気持ちを置き去りにして相手のペースをあわせることがとても苦手なのです。一番苦手なのは、「公務員らしく振舞う」こと。なんだそれは。どうしたらいいのだ。。

うまく合わせられないループ。

皆が盛り上がるほどなんだか置いて行かれているような気がしたり、皆のいる世界が遠い世界のことのように感じてしまう。どうしたらいいかわからない。でも、「こうあるべきだ」と言われると途端に何もできなくなるのです。私ってなんて厄介なのかしらと思うこともあります。

この「皆と一緒に合わせられない」という経験が「人づきあいが苦手な私」という認識に至り、「一緒に盛り上がろう」と言われることに強い抵抗感にを持つようになりました。周囲からは「枠に収まらない人」と思われているようです。大縄跳びで一人だけ引っかかってしまう感覚。

うまくやろうとすると、構えてしまって何と返事をしたらいいかわからなくなるし、時には過剰に喋りすぎてしまう等、何を求められているのだろうか、自分は期待に添えているだろうか…といい距離感が分からなくなりました。

ちょっと違和感、が大事。

人を見かけた時、会ったとき、顔を合わせた時、私と相手はいつも違う出会い方をしています。お互いに人生で様々なことが起きていて、昨日と同じ私たちではないのです。でも、今私たちは流れに合わせることに必死で、違和感を感じることも許されていないように感じます。自分の感情を押し殺したり、自分の気持ちに気が付かないふりをしなければ合わせられないから。自分自身へのネグレクトですね。
でも、ちょっとした違和感という身体のサインを感じることは、自分自身であることの大切な手がかりであるように思うのです。

バリア機能があってもいい

今日友人が、誰かに話しかけるときに戸惑うことがあるのだけれど、躊躇なく話せるようになりたいのだと話してくれました。
私は、友人が自分と誰かとの間に「今この瞬間に何が起きているか」を感じているのがとても素敵なことだなと思ったし、間を大切にして近づいてくれたらとっても安心だなと思ったのです。
自分を守るバリアやクッションがあれば、目の前の人を守ることもできるかかも。友人には「安心・安全であること」「尊重されること」という願いがあり、それはまた同時に私にも安心安全と尊重をくれるものだと思いました。

今までの人生とこれからの人生を信頼する。

なんですか急に、と思うかもしれませんが。
自分の中に湧いてくる様々な感覚と感情を、自分自身が大事にすることによって、自分と目の前の人、そして社会を守ることになると改めて思いました。嫌なことを嫌だということ。自分自身の安全圏を守り、その境界線をいつも大切にすること。この「間」に何が起こるのかを見つめ続けることが、私と相手の信頼関係を構築するカギになるのだと思います。
今までの自分が経験したこと、今の自分が感じていることが直観を呼び覚ましてくれる。そして直観に従うことはこれからの人生を信頼することになる、と思うのです。(繋がってる?)

合わない私が私らしくあることの安全圏

私が合わせないことで、私の周りに安全圏を創り、同時に周りの人を守る。そう思えば、無理に合わせることもないし、今この瞬間の私の「まるでわがままに見える感覚」を信じていいのだと思いました。
これまでのネグレクトをおしまいにして自分自身を取り戻したいと思います。

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