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四年ぶりに両親に会った

 四年前、些細なことで喧嘩して、それから両親と会っていなかった。喧嘩のことなんて根に持っているわけではなくただ、両親と接するのが嫌になってしまった。

 昨日、実家に息子と帰った。

 息子は「大丈夫?喧嘩しない?」とすごく心配して、私が四年ぶりに両親と会うことに私より緊張していた。

 私は、なぜ急に帰る気になったのか。自分でもよくわからない。でも急に帰ろうって思ったのだ。意地を張って両親と会わずにいることが、すごくくだらなく思えた。急に。

 実家に帰って、私は四年前と変わらず喧嘩なんてなかったかのように両親と普通に接した。旦那が子供たちを連れて度々私の実家に行っていたので、息子の不登校や転校や別居のことを大体知っていた。

 私が子供たちのことで悩んでいるとき、私が子供だったらどうだったろうって考える。必然的にうちの親はどうだったろうって考えてしまう。会っていなくても、親はいつまでも私の親で、私の中にいて追い払うことなんてできない。あんな親子いいなあって思うことがよくあるけど、私と親の関係はそれは私と親だけにある関係なんだ。他人のようにはならない。私と子供たちの関係だってそう。

 その関係は作り上げたもの。親が用意していたものじゃない。むしろ私がそうだから親がそうなったのかも知れない。お互いにそれが良しとして選択し続けた結果選ばれたものなのだろう。

 私の今シーズンの仕事が終わって、息子も頑張って学校に通っていて、学芸会の後の振替休日に2人でお疲れ様しようということになっていた。学芸会当日は晴れていたのに次の日は朝から雨予報。しかも結構強い雨が降るらしい。この時期に雨で峠を越えるのは嫌だなあ。今日行って実家に泊めてもらおう。

 自然にそう思った。不思議だけど、そこに何の抵抗も感じなかった。

 なんか、色々終わったんだと思う。仕事も今年は人が足りなくて、終盤は流行り風邪の影響も受けて、最後まで本当に忙しかった。息子にも、「もう少しで終わるから、もうちょっとだから」って色々我慢させていた。それが終わったタイミングで、私の色々無駄に持っていた重いものが消えていった感じがする。

 今日は朝からゲーセンでUFOキャッチャーしまくって、ボーリングして、回転寿司屋に行って、そしてたまたま見つけた私好みのホテルに今泊まっている。そこが、予約した時は知らなかったのだけど、たまたま私の生まれた場所のすぐ近くだった。昔からある街の中のアーケード街のはずれで、その周りには私好みの小洒落ていてマニアックな感じの飲み屋さんが色々あって、息子と2人じゃ飲み歩くって感じにはならないけど、歩くだけで楽しかった。私はここで生まれたんだ。そして生きて来たんだ。親と一緒に。

 私には、「女こそ大学行け」って言っていたくせに、母は昨日「勉強なんて後からでもどうにでもなる。たくさん動いて健康なのが一番だね」だって。調子いいよね。でも、いつまでも同じ思考でなんかいられないんだ。何歳になっても成長して、更新されていく。そういうものなんだな。

 

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