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誰もいない町〜ベトナム旧正月〜

 僕は今、ベトナムのハノイに住んでいる。旧宗主国のフランスがやって来るずっと前から、隣国である中国の影響を受け続けてきたこの国では、旧暦を重んじる。故に、お正月といえば1月後半〜2月初旬までの旧正月を意味する。

旧暦は、月の満ち欠けのサイクルに基づいて1カ月を定めているので、そうすると1カ月が約29.5日にしかならないらしい。すると、1年間は29.5日×12カ月=354日となり、「新暦」の1年365日と比べて、11日少ないことになる。ただ、そのままだと、どんどん新暦との差が広がってしまうので、数年に1度、1年を13カ月とする年を設けて調節するらしい。故に、毎年旧正月の時期は微妙に変動する。

今年の元旦は、新暦の2月12日。そして、ベトナム政府は、新暦2月10日〜16日までを正月休みにすると発表した。この期間は、ほとんどの経済活動が停止し、故郷のある人間は帰省して家族と過ごす。町はまるでゴーストタウンのようになるとのことだった。というのも、ベトナム生活3年目にして 、旧正月の期間にベトナムにいるのは、今回が初めてだった。いつも長期の休みになるこの期間には、日本へ帰国していた。だけれど、長引く世界的パンデミックのせいで、今年はそれが叶わなかった。

「スーパーも飲食店も休みになるから、食料だけは確保しておいたほがいいよ」色々な人にそう言われた。だから、正月休みの数日前、大型スーパーまで寒い中バイクを走らせ、インスタント麺や缶詰など保存の効く食料を買い漁った。

そして元旦前日。聞いていた通り、朝から町は静寂に包まれていた。いつもはうるさいバイクのクラクションや、それに負けじと声を張り上げて話すベトナム人の姿は影を潜め、路上で果物や野菜を売る行商人もいなかった。そこにあるべきはずのものがない。そこにいるべきはずの人がいない。いつもは車も通れないようなアパート前の細い道も、こんなに広かったのかと驚いた。

夜になって、少し町を歩いてみた。スーパーも飲食店も閉まっている。車もバイクも走っていない。昼間以上の静けさに、なんだか世界に僕一人だけしかいないような、経験したことのない感覚を覚えた。12時近くなって、遠くで打ち上げ花火の音が数発聞こえた。町の中心部では、何かイベントをやっているのかもしれない。そうこうしているうちに、あっけなく年が明けた。

静かなままの町を歩きながら、本来、正月とはこういうものなのかもしれないなと思った。「非日常」な時間だからこそ、「外」ではなく「内」に目を向けて、家族や大切な人たちとゆったり過ごす。僕も、しばらくは、この静かな「非日常」を味わってみようと思った。


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