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桜の季節に寄せて

私は、花見に興味がない。それほどに一生懸命、なんとしてでもお花見をしないといけない理由がわからない。もちろん、多くの人が、なんとしてでもお花見をしないといけない理由を持っているとも思わない。多くの人が、なんとなしに、雰囲気を楽しんでいる。それだけなのではないか。

私も、人並みに雰囲気を楽しみはする。だから、冒頭で興味がないなんて言っておきながら、私だっていっちょまえに花見をしたことがある。(いっちょまえ、が適切かどうか知らん)桜の咲いているのが見えるところに腰を落ち着けて、飲食を楽しむアレである。

ところで、散歩しながら、視界に入ってくる桜を楽しむのはお花見というのだろうか。これは、お花見というよりは散歩である。自分で書いていてヘドが出そうだ。べつに、桜が散歩の道中にあってもなくても、我は散歩をしたのだ…という場合である。

では、桜がちょうど見頃だから、というのを一番の動機にした散歩だったら、やっぱりお花見なのか? それとも散歩なのか? どうだろう。このへんの線引きは難しい。そもそも、「一番の動機」を絞れないこともあるだろう。ちょっとコンビニにも寄りたいし、なじみのコーヒー屋の様子を見つつあわよくば顔も出して、ついでに花も見頃だし…なんて始まると、もはや何が一番の動機なのかなんてことはまるでわからなくなる。それを決めるのも馬鹿らしい。いや、馬鹿でもいいのだけれど。

桜を題材にしたJ-Popが、やたらといい曲ぶるのが気になる。これは悪口である。業界のみなさんごめんなさい。あなたに罪はないかもしれません。あるかもしれないけれど。

短い期間だけ咲いて、散ってしまう。そこに、儚さを感じやすいのが、J-Popの題材にしやすい理由なのかもしれない。ところで、期間限定じゃないものなんてこの世にどれだけあるだろうか。長かれ短かれ、いかなるものも、永遠ではない。年に数センチくらい移動しているとかいないとかいう噂の、この惑星にある「大陸」だって、ものすごい億年兆年単位を「一瞬」とする感性の持ち主からしたら、一瞬だけ近くにいたかと思ったらファー・アウェイなのである。なんのこっちゃ。その規模の時間感覚だと、惑星の誕生と消滅すら、信号機に従って往来する通行人くらいの些事なのである。なんのこっちゃ。

悪口だけをいってオシマイにするのはしのびない(しのびあってもいいのだけれど)ので、私が「桜」で思い出す好きな歌を挙げておこう。フジファブリックの『桜の季節』である。以上。

青沼詩郎


【フジファブリック『桜の季節』をApple Musicで聴く】

https://music.apple.com/jp/album/%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80-remastered-2019/1475190761?i=1475191215

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