音楽とラグビー
おととい、僕はあるところでライブステージに出演していました。ラグビーとビールをテーマに、その地域を活性化しようというイベントに呼ばれて歌いに行ったのです。なんとそのイベントに僕が出演する時間帯こそが、ちょうどラグビーの日本とサモアの試合開始の時刻と重なっていました。ほんとうのほんとうのラグビーファンならば、その時間帯は日本とサモアの試合を観戦しているであろうときに、ぼくは演奏と歌唱をおこなったのです。そのイベントのライブステージの僕の出番のときの客席は、少し、寂しめだったように思います。いえ、ラグビーの試合(それも国民的な一試合)と重なったせいではなく、ひとえに僕のせいかもしれませんけれど。
じぶんの出番が終わって、来てくれた友人と話したり、水を飲んだり、お腹にたべものをいれたり、後続の出演者のステージをみたり、僕をこのイベントに呼んでくれた主催側の人と話をしたりしてから会場をあとにすると、ちょうど駅をはさんだライブ会場の反対側にあたる場所には巨大なモニターがあり、その画面にはほかでもない日本とサモアの試合がうつし出されていて、まさに僕が通りかかったその瞬間が、日本が試合の最後の最後のキックを決めて、画面の前にいたおおきな衆人がわぁぁっと湧き立つところでした。画面の中で、日本の選手とサモアの選手が手と手を合わせたりしながら列をこすり合わせていました。ぱっと観た瞬間、純粋に画面の中の情報だけで勝ったのが日本なのかどうなのか僕にはわかりかねましたが、衆人の反応を観てこれは勝った方が日本なのだろうなと理解しました。あの、試合の終わった直後の、選手たちが列をこすりあわせる様子に、この戦いが知的なものであり、相手への尊重を欠いては決して成立しえないものであることを僕は感じ取りました。
音楽も、聴衆に、ステージスタッフに、共演者・他のグループの出演者や個人に、イベントを成立させる場に、時間に、感謝を欠いては成立しません。その日のステージは、気持ちのよい風が吹いて、いい音が響いているのを感じながらやれました。
ラグビーがほんとうに、国民的な関心の一事になっている、そのことを、にわか未満ではありますが、僕も楽しんでいます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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