綱泉
私は、お風呂に本やスマートフォンを持ち込んで、読み物や書き物や調べものをよくやります。すごくはかどることもあるのですが、リラックス効果が高すぎて秒で寝落ちすることも多いです。これまでに水没させた本の数は知れません。現在使っているスマートフォンも、これまでに少なくとも3度は水没させています。0.5秒(本人実感)で拾いあげてすぐさま水切り、拭きあげ、細部の水気取りと丁寧にやっていますと、意外と故障なくここまで来れています。明日も生きられるか。私が逝くのが先か。お風呂での情報活動はおすすめしませんが、止めもしません。また笑って再会しましょうよと、それだけです。(なんのこっちゃ。申し訳ありません。)
思えば、ガスも電気も水道も使えて、公共交通機関も利用できて、病気や怪我の際に受診できるのも、すべて、そのために働く人あってのおかげです。「そのために働く人」一人ひとりも、何かほかのことで働く人のおかげあって、一人の国民といいますか、社会に含まれた存在でいることができます。助け合って生きているので、どこかの助けが抜け落ちると、そこから影響が始まり、抜け落ちの連鎖がおき、あちらこちらが穴だらけになってしまう。そしてやがては、全体の地盤が陥没してしまう。これは、最悪のシナリオです。
みんなが、日常的に、あたりまえのように頼りにしているパイプ。そこから、普段は「1」の量を取得していたとします。そこで、ある個人が、普段どおりに「1」の取得を今後継続できなくなるんじゃないか? という危機を感じる(これが、憶測である可能性はさておき)と、「1」で足りているはずなのに「2」取得しようとする。みんながみんな、一気にそれをやるとします。すると、一気に、頼りにしていたパイプの供給機能そのものが破綻してしまう。そんなことが起こりかねないのですね。「2」でなくとも、「1.5」とか「1.25」とかでも、みんなが同時に行動を起こせば破綻に追いやるのに十分かもしれません。
反対に、「1」取得してきたところを、みんなが「0.75」(いえ、「0.8」や「0.9」でも十分かもしれません)に絞るくらいのことで、陥没の危機にさらされているパイプがどれだけ救われるかということを思います。
いつもと同じような、特別なような週末。私は、もともと、楽器の演奏や歌唱といった活動が生活の一部といいますか、生き方として実践しているみたいなところがあります。普段と変わらないひとりの部屋で、ひとり作曲やら録音やらに取り組んで過ごしています。それから、家族といつもどおりにご飯を食べて生活してもいます。こうしていられるのも、日用品やガスや水道や電気の提供や交通や医療を可能にするために働いてくれている人がいるおかげなんだなと思います。最低でも、迷惑だけはかけないようにしなきゃな。
お読みいただき、ありがとうございました。東京は、雪!
青沼詩郎
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