『征服と文化の世界史:民族と文化変容(下)』トマス・ソーウェル著、2004



感想

第5章 新大陸のインディアン

ヨーロッパ人到来以前に新大陸で最も強く欠如していたのは車輪であった。それは文明の発達過程において一つの指標とされる場合が多い。しかし、それがなかったのは単純な知的欠乏によるものでマヤの場合、子供の玩具にそれが使われていたことからも、その点は明白である(4)。もっとも、成人が実際に使用することにはならなかった。欠如していたのは概念ではなく、ヨーロッパやアジアで車輪が非常に重要な役割を果たすようになった相互補完的な要素であり、すなわちそれは、車輪のついた車両を牽引する動物の存在であった。ヨーロッパ人到来以前の南北アメリカには、重荷を牽引したり運搬することができる馬や雄牛など動物がいなかったのである。

pp. 365-366

単純に良く知られていない事実。

5-1. 地理的条件

新大陸が主に南北に広がっているのに対して、ユーラシア大陸は東西に大きく広がっている。この事実は新大陸よりも旧大陸のほうに、農業と畜産上適した地域がはるかに長大な距離で広がっていることを意味する。動植物は同緯度ではより類似したものとなるが、南北に移動する場合には激しい気候変化を伴う。したがって、米作はアジアからヨーロッパにかけて、そして最終的に北米まで広がることができたが、バナナは中米からカナダに広がることはできなかった。熱帯に適応している多くの動物もまた、南や北における寒冷な気候に生存することはできず、その結果、そのような動物をいかに飼育したり、狩猟したりすればよいかという知識もまた、このような知識が長距離を伝播するにせよ、動物の適応性がどの程度あるかにかかっていた。さらに、新大陸における北部の温帯地域と南部の温帯地域とは、あまりに離れすぎていたため、コロンブス到来以前に両者の知識を共有することはできなかった。要するに、地理的要素同様に気候も、新大陸における先住民の文化的広がりを制限していた、ということである。

p. 369

これは、ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』で有名な命題。この2つはほぼ同時期に出版されている。


第6章 総括

6-1. 富の創出における差異

かかる大規模な生産性の相違が同様に、所得や富の著しい差異と結びついているということは、さして驚くに足りない。ただその一方で、この現実的な事実は次のような通説を打破してしまう。つまり、国家であれ個人であれ、富めるものが富むのは、なぜなら貧者が貧しいからであり、それは基本的に富の創出上の差異というよりも、富の分配の問題である、との通説である。例えば、帝国主義はある国が他国を犠牲にして成長していく過程としてこれまで描かれることが多かった。特定の局面で帝国主義は出現しうるし、また、現に出現してきたが、もしも「搾取」理論が仮定されているように広範囲に適用可能であるとすれば、帝国の解体はかつて征服され搾取されたであろう民族の生活水準を向上させることになるはずである。しかし、歴史が繰り返し示すところでは、それとは反対であった。

pp.477-478

なるほど、著者の出発点・起点がマルクス主義だとするなら、搾取理論云々を議論するのも当然だし、その代替案として人的資本とか自然環境をもってくるのも当然の議論の流れか。現代的な関心だと、マルクス主義の誤りが明らかなので、流れが分かりにくいかもしれない。


全体

・面白くない

本書がさほど面白くないのは、この本で示されている事実が既に広く知られているからだと思う。例えば、「病気」はアフリカ支配への障壁になった一方で、アメリカ大陸支配を容易にしたが、これは当然『銃・病原菌・鉄』で良く知られている。このダイアモンドの議論自体もさほど新しいものではなく、1968年に政治学者の高坂正尭の著書『世界地図の中で考える』 (新潮選書) で示されている。

おそらく、ここでは普通の議論とは順序がアベコベになっているのだと思われる。第二次世界大戦後の中国、インドという巨大国家や中東諸国の独立、1960年代のアフリカ諸国の独立やベトナム戦争を経て、先進国による植民地支配が悪いものだという価値観が確立された。一方で、所謂「西側」の経済的な繁栄、そしてその前提となる「進んだ」社会制度がその支配の基礎にあったことが事後的にはっきりした。そこで、特に中国やインド、アラブ、ペルシア、トルコといった歴史的には西欧よりも進んでいることが多かった国々が、なぜいとも容易く植民地化されてしまったのだろうか、という問いが生じる。当初は単純に西欧の性悪さ、次に進んだ技術とそれを支える経済力、そして実地の調査が進むと社会制度や病気が重要だったということが徐々にはっきりしてきた、という順番なのだろう。あとは、これらの要因がいつ・どこで・どれぐらい重要だったかの強調の仕方の違いぐらいに議論は収束する。

結果、特に本書の3章「アフリカ人」と5章「新大陸のインディアン」は歴史の被害者として常連であり、それだけに多くの事が知られ語られ、結果特に面白くなくなってしまっている。逆に言えば、2章「イギリス人」の中で所謂「白人」内部での支配・被支配の関係や、4章「スラブ人」におけるスラブ人内外の関係はあまり知られておらず、興味深いものになっている。


・面白い点:自然条件

訳者も書いているように、自然条件を重視している部分が最大の特徴だと思われる。


・微妙な点:「人的資本」

「人的資本」が大事、というのは誰でも同意するのだが、それではその人的資本とやらがどのように作られ、人種・民族・国の間で差がついたかについての分析はない。これを宗教に絡めればウェーバー流の議論になるし、学校教育の供給サイドを重視すれば制度論になり、需要サイドを重視すればシカゴ学派的な話になる。


・結局

歴史の話ってどれだけ事実を知っているかが重要だったりするので、こんな本でも読まないといけなかったりしますね…

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