『なぜ、インテリジェンスは必要なのか』小林良樹著、慶應義塾大学出版会、2021、ch. -5

はしがき

この本は、一般の方々を含め多くの方々に国家のインテリジェンス機能に関する理解を少しでも深めて頂くことを 目的として書かれたものです。詳しくは本文で論じますが、本書では、インテリジェンスのことを「国家安全保障に 関する政策決定を支援する政府内のシステム」等と位置付けています。したがって、本書の内容の多くは、行政組織 論や意思決定論等に近いものであり、必ずしも「スパイ事件のエピソード集」ではありません。

本書の特徴の第1は、「インテリジェンスに関する学術理論の全体像を俯瞰すること」です。米国を始め欧米諸国においては、国家のインテリジェンス機能に関する学術研究が国際政治学、安全保障学等の一部として根付いており、 これまでに多くの研究成果が発表、蓄積されています。他方、日本においては、こうした分野に対する一般的な認知は必ずしも高くないと考えられます。こうしたことから、本書は、インテリジェンスに関する学術理論の全体像を可 能な限り分かりやすく紹介することを目指しています。

特徴の第2は、「実践的な問題を学術理論の全体像と関連付けて理解すること」です。第1部(第1~5章)は基礎編として、インテリジェンスの定義や機能、理論体系の全体像、インテリジェンスの生産のプロセス等の基礎的 なテーマを扱っています。第2部(第6章以降)は実践論として、日米のインテリジェンス・コミュニティの仕組み、 収集、分析、カウンターインテリジェンス、秘密工作活動、民主的統制等のより実践的なテーマを扱っています。 そ の際、個別具体的な論点を検討するに当たっては、「インテリジェンスの基本的な定義と機能に遡って考えること」 や「視野狭窄に陥ることなく) インテリジェンスの理論体系の全体像を踏まえて考えること」を強調しています。

余談になりますが、筆者がインテリジェンス研究に興味を持つようになったきっかけは、2004年から約3年間、 米国のワシントンDCに滞在した際の経験です。当時は、2001年の911事件等の教訓を踏まえ、米国のイン テリジェンス機能に大きな改革が進行している時期でした。新たなシステムが創造されていく過程において、政治のリーダーシップ、実務家の経験、研究者の学術知識、一般市民の思い等が融合されていく様子は非常に刺激的でした。 とりわけ、学術的な知見の蓄積が豊富であることや、一般市民レベルでも一定の知識・見識(リテラシー)が根付い ていることは、筆者にとって非常に新鮮に映りました。本書が出来ることは些細なことでしかないと思いますが、本 書を通じて一人でも多くの方がインテリジェンスに関するリテラシーを高めて頂けると幸いです。

本書は以上のような趣旨に基づき執筆されています。正確性や緻密さよりも、全体像の把握のし易さ、理解のし易 さ等にポイントが置かれています。事実誤認、説明不十分等の点があるとすればそれは専ら筆者自身の不勉強による ものです。また、本書の中に示されている意見等は筆者の個人的な見解です。筆者の所属する(あるいは過去に所属した)組織の見解とは無関係であることを予めお断りしておきます。

本書は、筆者の過去の著作である『インテリジェンスの基礎理論』(立花書房、2011年(初版)、2014年(第 2版))がベースとなっています。 前書と重複する内容も一部に含まれていますが、前書の出版以降の新たな状況(国家安全保障会議や国会の情報監視審査会の創設等)等も踏まえ、新しい書籍として書き下ろしたものです。 前書の出版元 である立花書房には、こうした形での再出発をご快諾頂きました。この場をお借りして深く感謝を申し上げます。

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