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ダメパパが私立小学校受験に挑んでみた7 ~こぼれ話~

【ダメパパ私立小受験記まとめ】


【本編】

とある日のお話。

この日も僕は娘を連れ、小学校受験対策のためにお教室に向かった。
うだるような暑さの中、電車に乗ってお教室に向かう日常はいつまで続くのだろうか。そんなことを考えながら娘の手を引いてお教室にたどり着くと、

「行ってきまーす!」

娘は嫌な顔ひとつせずに、僕のもとを離れていった。この炎天下の中、お教室にたどり着くだけでも疲れるのに、元気な声でお教室に入っていく娘。この小さな体にかなりの負担を重ねていることは、想像に難くない。

反対に僕はというと汗だくで今にもぶっ倒れそうな顔をしていたはずだ。娘のお教室なんてどうでもよく、とにかく一刻も早く避暑地である喫茶店に入って一服したい。なんてことを考えてしまうほど、この大きな体にかなりの負担を重ねていることは、想像に難くない。

足早に喫茶店へと入場した僕は、キンキンに冷えた店内に人類の叡智を感じながらコーヒーを注文、そして着座し、タバコに火をつけた。

一息ついた後に、スマホでウェブ会議アプリを起動し、娘のお教室の様子を熱心に観察するお父さんを演じつつ、iPadで遊戯王カードのゲームを楽しむ。娘がお教室でお勉強を頑張っている間、僕はおゲームを楽しむことがルーティンになっていた。控えめにいってクズである。

しかし、これが本当に重要なのだ。嫌々ながら始めた私立小学校受験という名の茨の道を突き進むためには、オアシスがなければならないのだ。オアシスがなければ、確実に僕は受験対策をほっぽりだしているに違いない。妻に対し「君がいいだしたことなんだから僕は何もしないね!頑張って!じゃ!」と全力で言い出しかねない。こんな軋轢が生じる主張をし、さらに実際に何も動かなかったら、確実に離婚案件である。しかしそうなることを僕は望んでいない。安易な離婚を回避するために僕は自分自身でオアシスを用意し、精神のバランスをとっているのだ。決して悪いことはしていないはずだし、なんなら遊戯王カードが楽しすぎるのがいけないのだ。こんな楽しいカードバトルを、ネット越しに見知らぬ誰かとプレイできるなんて最高すぎるのだ。そりゃあ娘をほっぽりだしてプレイしちゃうのだ。控えめにいってクズなのだ。へけ。

そんなこんなで遊戯王カードを堪能していたが、ふと娘の様子に目を向けると、何やら集団でお絵描きをし始めていた。

大きな模造紙を床に敷いて、そこに群がる子供たち。この模造紙にみんなで一枚の絵を完成させるということが課題らしい。

私立小学校受験の課題にはグループ行動と呼ばれるものがある。複数人の子供らで一つの制作を行ったり、一つの課題に取り組み他のグループとスピードを競ったりなどなど…

どんな制作が出来上がるか、どのグループが一番か、もちろんそういったところも合否の判定に多少なりとも関わることになるのだろうが、グループ行動で最も見られる点は“過程“であろう。グループの仲間は同じ受験生の子供達とはいえ、その場で初めて会った人たちである。そんな状況の中でどのように行動して課題に取り組めるのか、そこが重要らしい。リーダー的存在になってグループを引っ張る子供。課題に苦戦している仲間に声がけする子供。言われるがままにモジモジする子供。いろんな性格の子供がいて、子供の数だけ違う行動を見せる。それらの様子を学校側が見て、校風や理念に合う子供かを判断して合否を決めるのだ。

陰キャでコミュ障な僕は「わ…わ…」とか言っている間に終わってそうである。そんな親を持つ娘は、どんな行動をしているのであろうかと、遊戯王そっちのけでのぞいてみる。

お教室の様子に目をやると、どうやらグループで動物園の絵を描くようだ。ゾウ、キリン、ライオン、シマウマ、などなど各々が好きな動物を描いている。そんな中うちの娘は何を描いているのだろう。娘が動物を描くときは、ユニコーンとかペガサスとかそういう空想上の生き物を描きがちなのだ。しかも多種多様な色を使って、レインボーな色彩に仕上げるのが娘のブームである。もしかしたらこの課題でも色とりどりのクレヨンを使って、空想上の動物を描いているかなーっとかわいい娘の一面を思い浮かべながら注視すると、娘は木を描いていた。

木である。木を一心不乱に描いている。誠心誠意を込めて木を描いている。

周りの友達が動物を描いていく中、空いているスペースに木を描き殴っているのだ。僕は、なぜ……?と思った。動物園を描いてくださいという課題であれば、子供としてはまず動物を描きたくなるだろう。でも娘は動物を一切描かずに、木を描いているのだ。

娘の木によって、動物園であるはずの絵が、アフリカのサファリパークみたいになっていく。ほのぼのとした動物園が一転、弱肉強食の大地が描かれていた。

これは、子供としてどうなのだろうか?いやいや、でも確かに木も大切だよね。動物園にだって木はたくさん生えてるしね。自然破壊だとか、地球温暖化だとか、SDGsとか叫ばれてる昨今、しっかりと自然を取り入れている動物園なんだね。これはこれで味が出ている絵に仕上がっている気がしてきたぞ。

そうやって自分を納得させつつ、娘を見ていると友達に何かを話しかけている。こらこら、課題中の私語は減点対象だぞー?と、先生に言われたことを思い出しながら見ていると、凄まじいことを彼女はしでかした。

すでに他の子が描いた象の上から檻を描き始めたのだ。

動物園なら、動物が外に出ないように安全対策で柵が設置されてるだろ?それじゃない?と思うかもしれないが、そういうものではおそらく、ない。一匹分の象しか入れない檻なのだ。檻というか黒塗りの鉄格子というか、とにかく動物の自由なんて度外視した檻だ。これでは寝そべることもできない。動物園にあるような、安全に動物の生態を楽しめるように施した囲いでは、断じてない。象を完全に閉じ込め、雀の涙ほどの自由すらも奪う檻を、彼女は一生懸命に描いていた。他の子が描いた象のニコニコ顔が一転、娘の檻によって半笑いで人類に何かを訴えかける悲哀な動物にしか見えなくなってきた。

象を封印した娘は、他の子に何かを話しかけている。その後、次はライオンを檻に閉じ込めていった。ライオンはオスとメスの二匹が描かれていたのだが、密猟者が使うような無骨な檻に、一匹ずつ丁寧に収容されていった。親でもわからない何かが彼女を突き動かしているようだ。

娘はその後も他の動物を檻に収監していった。そんな様子の娘を見ていたらとあることに気づく。私語だと思っていた友達への声がけが、実は檻に入れる許可をとっていることに。シマウマを描いた少年がいれば、その少年に対して「檻を描いてもいい?」と逐一許可をとっているのだ。少年も、まぁ確かに動物園って檻あるよなーと思ったのか、「いいよ!」と返事をしている。しかし出来上がる檻は、どんな獰猛な動物をも封じ込める冷徹な鉄格子である。多分事前に許可した際にイメージした檻とは全く異なるものだろう。クライアントとクリエイターのイメージ差が、悪い方向に出てしまっている。とにかく、著作者からの許可という免罪符を手に入れた娘は、あらゆる動物を収監していった。動物たちを外界には絶対に出すまいという強い意志を感じた。

最初こそ、黒塗りの無骨な檻だったが途中からお得意の多様な色を使った檻が出来上がっていた。レインボープリズンの完成である。僕はこのお教室の課題を通して、娘の新たな一面を垣間見た気がした……

***

お教室の帰り道、僕は娘に聞いた。

「どうして木ばかり描いてたの?」

「餌がないと動物の食べ物がなくなっちゃうから」

なるほど。確かに草食動物は葉っぱとか食べる。だから娘は木ばかり描いていたのか。理由を聞いたら娘の優しさに触れられた気がした。

「じゃあ、檻を描いていったのはなんで?」

「檻がないと、人間が危ないから」

なるほど。確かに動物たちが自由闊歩していたら脆弱な人間たちはひとたまりもない。はたからみると、とんでもない行動であったが、娘の中ではしっかりとした理由があって実行に移していたのだ。

「そっか。確かに外に出ると危ないよね。檻は大切だけど、一匹ずつだと動物も寂しくなっちゃうから、次は同じ動物の仲間は一緒の檻に入れてあげて」

「そうだね、わかった」

このアドバイスが小学校受験において吉と出るのか凶と出るのかはわからない。そして動物を描かずに木や檻を描き続けたことが、合格につながる行為なのかもわからない。しかし、娘がしっかりと理由づけて考えた行為がどんなに突拍子もないことだったとしても、親である僕ぐらいは尊重してあげようと思ったのであった。

続く……


【ダメパパ小学校受験記まとめ】

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