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幼い子への過ち

その日、私は疲れていました。

私は五歳と三歳の娘を持つパート主婦でした。パートで働き始めたばかりの頃の話です。

それというのも夫の給料で生活費が賄えなくて夫の実家に借金を頼みに行ったら、その月だけのことだと私が言っても姑と兄嫁からやいやい言われたのです。働け、子どもだって留守番くらいできる、お金が足りないなら自分が働け、と。家に帰って泣きました。夫が私に仕事を持たせるのを嫌って専業主婦になったのに。
「家事に支障がでないなら、わかった」
夫は了承したけれど不満気。私の以前の仕事は専門職でした。畑違いのパートの仕事はなかなか慣れません。私の実家は遠方で経済面の余裕はなく、夫の実家は頼れない。そんなわけでその日私は疲れていたのです。

そのうえ、夕方から頭痛がして、だんだんひどくなっていきました。子どもたちの声が頭にひびきます。夕食を用意して子どもたちに食べさせ、食卓とリビングの床を見たら、イラっとしました。散らかり放題に散らかっています。床は積み木と人形が放り出されています。思わずヒステリックに怒鳴ってしまいました。

「あんたたち!片づけなさあぁーい!!」

娘たちは、ビクッとしました。それまでは子どもに片づけさせるのが面倒で私がさっさとおもちゃ箱に入れていたので、うちの子はお片付けのしつけができていません。子どもたちは母親が怒ったので片付けようとしましたが、
「これはアタシが出したんじゃないからねえねえしまって!」
「アタシじゃないもん!」
「ねえねえが出した!」
「ちがう!アンタしまいなさい!」
あんたが、あたしが、と、ついに取っ組み合いのけんかです。子どもの黄色い声がキンキンします。頭が痛い。引き離そうと近づいてひざをついたところに、上の娘が投げつけた積み木が飛んできて、腕に当たり……

カッとなって我を忘れていました。

「姉妹で仲良くできないなら!
出ていきなさい!
出ていけ!
早く!!
出てけーーーーー!!」

五歳の上の娘が泣きもしないのが憎々しく思えました。蒼白になっているのにその時は気づきませんでした。三歳の娘はわぁっ、と泣いてごめんなさいーと私にすがりついています。
姉の方が妹を抱えて私から引き離し玄関に連れて行くと、靴を履かせ始めました。黙って。それも私には憎らしく思えて、するがままにさせておきました。

外はもう真っ暗です。私は(上着!)と思いつき、幼児コートを二着、姉娘に渡しました。姉は黙って上着を着、妹に着せると、妹の手を引いて出ていきました。

私が放心していたのは15分くらいだったと思います。夫が帰ってきました。
「あれ?子どもたちはどうした?」

震える声で出て行ったいきさつを言うと夫は
「今何時だと思っているんだ!事故にでもあったらどうするんだ!」
はっとしました。
続いて恐ろしさが沸き起こりました。
夫と私は近くの公園に行きました。いません。夫は警察に電話をしています。近所の人が出てきました。私たち夫婦から話を聞くと
「川にでも落ちたら大変だ。そっち、見に行くから!」
と、何人もの大人が手分けしてうちの子どもたちを探してくれました。

すみません、すみません、なんてことをしてしまったんだろう私は……

見つかったという連絡は来ません。心当たりがある友だちの家はありません。私はママ友づきあいが苦手で、子どもたちが遊んでいる子の親とも軽く話を合わせるだけで家に行くほど親しい人はいませんでした。
親子で行くのは近くの公園とスーパーと……川べりの土手……

「奥さん、顔色悪いよ。一度家に戻ったらどうかね、ほら、子どもが帰っているかもしれんし。」

夫が
「すみません、またすぐ来ますんで」
と、私の肩を抱いてうながしたので、一度家に戻りました。玄関に子どもたちはいません。ですが、裏の縁台の軒下で何やら気配がします。夫と二人で足を忍ばせて見に行くと、

子どもたちがいました。
上の娘が座った膝を枕にして、下の娘は寝ていました。上の娘は下の娘の頭をなでてやっていました。

「ほら、やっぱり姉妹だよ」
と夫が言いました。その声に上の娘はビクッとして叱られるのを怖がっているようでした。
夫が
「ねえねえはパパに似たんだなぁ。
パパも子どもの頃、叱られて家出して隣の市まで行っちまったことがあったんだ。
出て行けと親に言われれば、家にいるわけにはいかないと思うよなぁ。」
すると上の娘は大粒の涙をぽろぽろこぼし、しくしく泣き始めたのでした。
夫は私に
「この子のことは俺だと思って育ててくれないか。」
と言いました。はっとしました。最近、私が上の娘と反りが合わないのに気づいていたのです。私はやっと上の娘を抱きしめて
「ごめんね。」
と、言いました。

警察や子どもを探してくれた人たちに謝って回るのは大変でしたが、幸い怒り出す人はいなくて、無事でよかったと皆さん言ってくれました。
家で子どもたちを布団で寝かしつけて、夫婦で話し合いました。

夫は私が仕事と家事育児をするとパンクしてしまうと思っていたこと、子どもの手が離れてからでも再就職すればいいと思っていたが、私が夫の実家に無心に行ったことも言われたことも言わずに「働きたい」とだけ言ったので、不安はあったがそれもいいかと思ったということ、今月は祝儀と不祝儀が重なりすぎて出費が多かった、それはなんとかするからもうしばらく無理に働くのはやめろ、と言いました。
「俺の実家は頼るな。ケチだから。」

それから四年。
子どもたちが二人とも小学校に上がったら、以前やっていた専門職につてがあり、私は働いています。無理なく仕事と家事を両立できています。
けれど、もしもあの時、あの夜……、子どもたちは土手まで行って引き返したそうです。一歩間違ったらこの子たちを失っていたかもしれない。今の幸せは当たり前じゃないんだ、と、忘れずに生きていこうと思っています。

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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