主体性という病③(最終回)〜教師が手放すべきもの〜

主体性という病 3回シリーズの最終回

第1回をざっくりまとめると、
人間は本来、主体性な生き物
大人や社会が子どもの主体性を奪っているだけなのでは?
という考え方を私はしています。

第2回をざっくりまとめると、

主体性を手放さないために大切なこと
1自分の見方、感じ方を大切にすること。
2それに人に伝えること。
3自分の感性、良心に従って行動すること。

でも、それは簡単なことではない。
主体性を手放さないためには、嫌われる勇気が必要。

では、主体的対話的深い学びを実践するために、大切だと思うこと。

子どもの思考、行動の可動域を広げること。

教師には痛みが伴います。
なんせ、富岡製糸場の時代から150年以上続いてきた学校の価値観とは真逆の方向に舵を切るわけですから。

教師が手放すこと
①ルールで子どもの思考や行動を限定しようとすること
②落ち着いたクラス、指導力のある教師だとみられたい気持ち

何度だって繰り返しますが、それは決して簡単なことではありません。
多様性の時代、「みんな違ってみんないい」といいますが、
言うは易し、行うは難しです。

子どもをどこまでも自由、奔放にさせるのがよいわけではありませんが、
学校、少なくとも私が今まで勤務してきた学校には、子どもが主体性を発揮する余白が足りないと感じてきました。

教師が手放し、子どもに委ねる。

いろんな問題は出てきます。
やはり規律を重んじるべきなのではと改めて感じる局面もきっとあると思います。

自分で考えて、主体的に行動する力
指示に素直に従い、周りを見て行動する力

子どもたちが活躍する社会で、どちらの力を重視すべきなのでしょうか?

自由と規律
どちらも大切。
結局はバランスなんだと思います。

そういう視点をもって子どもや学校と向き合っていきたいと言う決意表明のつもりで
また、大きな方針転換に現場で苦悩している教員がいることを知ってもらいたくて
記事を書きました。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

2024年1月17日
阪神淡路大震災から29年




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