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ヒッチハイクで得たもの①

大学を卒業してふらふらしてた頃、無性に何か新しいことに挑戦してみたくなった時期があった。一流ホテルのコーヒーを飲みに行ったり、ちょっとお高いブランド品に手を出したりしていた。

ヒッチハイクもその一つ。思い立った夜に、フェリーのチケットを買いに行った。出発は翌朝。そのあとどうしようかなんて考えない。あえて戻れない道を進むことにわくわくしていた。

フェリーのふかふかのイスに座って優雅に海を眺めながら、ちょっとイケてる感を味わうのも最高によかった。うとうとしながら、青森に着いてスタートを迎える。

しかし、現実は厳しい。
初めての青森。見知らぬ商店でダンボールをもらい、コンビニでマジックとガムテープを買い、ダンボールで作ったボードに「岩手まで」と書いた。

初めて掲げる時には何してんだろうという恥ずかしさや、たぶん止まってくれないよなーというネガティブで、腕が震えたのを覚えている。誰も見てない国道の片隅で、一人ドキドキしていた。
そんなこと、気にしているのは自分だけなのに。

思い切って岩手と書いたダンボールを車に見せるも、そうそう止まる車などない。恥ずかしさ、みじめさで心が潰されそうだった。

でも、人間はすごいもので、1時間もその場に立ってると、慣れて何も感じなくなる。それどころか、どうしたら止まってくれるだろうかと本来の目的を考えることもできた。

まず、目立ってナンボだろうと思った。車側から見て、「お!なんかいるなー」、「コイツ乗せたら面白そーだなー」と思ってもらう必要がある。ぴょんぴょん跳ねろとは言わないが、笑顔で手を振ってアピールすることにした。
それから、当たり前だが場所も関係あるだろうと推測した。遠くへ行く人が多そうなところ。
そうだ、高速道路だ!
インターの入り口付近で笑顔で手を振ってアピールすることにした。
すると、運良く一台の車が近くに止まった。

見るからに明るい50過ぎの気前のいいおじちゃんだった。名前は耕さん。
「次のサービスエリアまでで良ければ、乗せるよー」と言ってくれた。岩手と掲げつつも、初ヒッチハイクができることに感動した僕は、「お願いします!」と言っていた。

耕さんは、話せば話すほど気前のよさと器の大きさがにじみ出る人で、今でも憧れの一人だ。介護の仕事中だったらしく、サービスエリアで僕を下ろすと、耕さんは「もし、ここで日が暮れても次に進めなかったら、俺に電話して!そん時は、あと200キロくらい一緒に行こうや!宿代も初ヒッチハイク記念に出してやるよー」と言ってくれた。
僕は、「ありがとうございます」と言っただけで、何て言ったらいいかわからなかった。

幸いにも、そこからトントン拍子で次々と進むことができたが、今だったら「次が見つからなかったら、今日はここらで宿を探します。でも、そうなったらお礼に一杯おごらせてください。」と言うだろう。「生意気言うなよ〜」って言われそうだけど、さっきまでダンボール掲げるだけで腕が震えていた青年にとっては、耕さんの言葉がこの旅の支えになった。
その後、何度か耕さんと連絡をとったが、いまだに杯は交わせていない。いつか会えたら、その時こそ「一杯おごらせてください」と言いたい。

この経験から、僕は2つのことを学んだ。

一つは、行動することの大切さだ。

無謀なヒッチハイクに挑んで無かったら、耕さんに出会うこともなかっただろう。国道でポツンとみじめな思いもせず(できず)、今までと何ら変わりない日々だったと思う。
ここまでで、自分が変えたターニングポイントは3つある。思い立った時にフェリーのチケットを買ったこと。翌日フェリーに乗ったこと。勇気をだしてダンボールを掲げたこと。どれも自分で覚悟して行動したことだ。その結果、耕さんに会えたし、今までと違う世界を見ることができたし、なんとも言えない充実感があった。行動は自信へとつながっていくのだ。

もう一つは、明るさには価値があるということだ。

それまでは、みんなを笑わせてくれる友達をお調子者、目立ちたがり屋くらいに思っていた僕にとっては大きな気付きだった。耕さんのように明るく前向きでよく笑い何事も楽しそうに取り組むこと自体に価値がある、と考え方に変化が現れた。それ以来、僕は本当に笑うようになった。今では、「楽しさは伝染する」をモットーに日々やりがいに満ちて仕事をしている。

まだまだヒッチハイクの旅は続く。次回は、雨の中ひたすらダンボールを掲げて心が折れそうになったお話。

ヒッチハイクで得たもの②


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