ピッチャー的な生き方、キャッチャー的な生き方
僕は小さい頃からキャッチャーというポジションに憧れていた。
少年野球では、ファースト。
中学校に入学したら、サード。
ずーっと憧れ続けたキャッチャーになれたのは、中学校2年生の秋だった。
そこからは、大学で学生野球を終えるまで、キャッチャーとしてプレーさせてもらった。
今は月に何回かの草野球であらゆるポジションをやっているが、ピッチャーというポジションは特別であることを実感しているところだ。
今回は、そのピッチャーとキャッチャーという対極的なポジション論を、自分の生き方につなげて書いてみる。
ピッチャー
これまで、キャッチャーとしていろんなピッチャーと組んできたが、ピッチャーに共通しているのは、俺が!という思いが強く、自分の力を高めることに全力を尽くしているということ。
ピッチャーというポジションは、野球で最もカギになる。ピッチャーが投げてプレーは動きだし、抑えても打たれても、勝っても負けても全てを自分ごととしてとらえることのできるポジションなのだ。本人の意思とは別に、野球の仕組みとしてそうなっている。
ゆえに、ハングリー精神にあふれ、頭を使い、駆け引きを楽しみ、仲間を背負って立ち、何よりも負けず嫌いなのだ。
キャッチャー
グラウンド上の監督と言われ、一人だけ反対方向を向いてプレーするキャッチャーもまた、特別なポジションである。女房役とも言われる通り、ピッチャーをリードする役割も担う。
状況に応じて、言葉がけをしていくリーダー的な役割も担うポジションだ。
ゆえに、頭脳的であり、それなりにフィジカルの強さも要求され、冷静な判断ができ、チームメイトの信頼を集める。
こちらも、野球の仕組み上、そうなっている。
生き方として見てみると
キャッチャーとして生きてきた僕は、縁の下の力持ち的な思考が身についてきた。ピッチャーを生かすよう力を尽くす。人に仕える事。つまり、仕事においては、すんなりと適応できる考え方、観察力、発信力をもっていた。
この点は、強みと言える。
そして、更に最近気付いたことがある。それは、現状ある力を効果的に使うことに長けているということだ。
キャッチャーは、その日のピッチャーの力をどう引き出すか。先発、中継ぎ、抑えの3人のピッチャーでどうゲームを組み立てるか。そんなことを常に考えている。
しかし、それは時に保守的で現状維持を生み出してしまう。
ピッチャー的な生き方であるならば、最後の最後は当たって砕けろ!自分の力を試してやる!俺の球を打ってみろ!となるのではないかと思うが、キャッチャー的な生き方ではなかなかそうはいかない。ピッチャーの力を生かすプランニングを最後まで考え尽くす。
どちらがいいとか悪いではない。
両者に良さがあるのだ!!
これから僕は、未来を切り拓くピッチャー的な挑戦する生き方と、現状を見て冷静に判断するキャッチャー的な戦略的生き方を兼ね備えたプレーヤーになりたい!
ランニングしながらそんなことを思った。でも、わりかし的を得ていると思う。
小学校教師、パパとしての立場から発信し続けていきます!これからもよろしくお願いします!