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無償の愛なんて私にゃ無理だ

年明け一発目のnoteがそんなんでいいのかなぁと思ったり思わなかったりしている。だってーーー書かないと忘れそうなんだもーーーーんっ。

それはそうと、新年あけましておめでとうございます。
2021年中、記事を読んでくださった方、スキくださった方ありがとうございました。見てくださる方がいるということは本当にありがたいです。
今年ももちもちマイペースに書きますので、よろしくお付き合いくだされば幸いです。

さて、なんの話かと言うと、我が家の2歳のことである。
「今自分がしたいこと」がはっきりしてきて、本音で言えばまーーー面倒くさい。年末年始に帰省して、「これが毎日じゃ大変だ……」と同情される程度には面倒くさい。テレビ観たい、おもちゃで遊びたい、絵本を読みたい、服のボタンやら自転車ヘルメットの留め具やら自分で留めたい、大人の持っているものを触りたいあれこれあれこれ。時間の余裕のある時ならばやらせてあげられるけど、保育園の登園時間が近いとか、出かけるのに決まった時間の電車に乗らなきゃいけないとか、そうでなくても風呂食事就寝の時間とか。そう言う時に「やりたい」にぶつかると、いくら言葉で言ってもなかなかこちらの言った通りに動いてくれない。30分なんてあっという間に溶ける。残念ながら全てを子供に合わせていると、1日が100時間くらいないと足りないので、最初は言葉で言って、それでも聴かないなら捕まえてさせる(着替えなんかはもう強引にやる)訳だけども、そうすると「ママ、嫌!!」と言われるわけだ。
もちろん、自主的に動いてもらえるように上手く誘導しよう!という話があるのは知っている。それこそ、TwitterでもInstagramでもYouTubeでも、現役だったり過去携わっていたという保育士さんとか、色んな専門家の方があれこれ紹介しているのは知っている。知ってるのよ。でも、それが机上の空論と言うつもりはないけれど、やっぱり難しい。だって、衛生的で不健康でない最低限の生活にしたって、やらなきゃいけないことが消滅するわけじゃなく、1日は24時間しかないんだもの。誘導しようとしている間に時間は過ぎていくんだもの。
それで、最終的には強い語調で叱らざるを得ないし、おもちゃを没収したり多少暴れても着替えさせたり歯磨きさせたりせねばならず、実力行使する私は「嫌!!パパがいい!!」と言われる。

私はこの「ママ、嫌!」に、自分が結構傷ついていることに気がついた。
休日も関係なく朝なるべく遅くならないように起き、公園にも連れて行き、暑さ寒さに気を遣い、食べられそうな食材で栄養が偏ったり塩分油脂分が高くならないように、拙い範囲でも食事を作り、なるべくこの子が病気しないように、怪我をしたりさせたりしないように、服も絵本も何なら喜ぶかなぁ遊んでくれるかなぁといっぱい考えながら、それでも「嫌!!」と言われちゃう。自我が出てきたんだねぇ成長だねぇそういう時期なんだねぇと頭で分かっていながら、しょうがないなと笑ってはいられない。恩着せがましくはなりたくないけど、なんだかやりきれないのだ。機嫌が良ければくっついてくるし、ママ大好きとも言ってくれるから、なおのこと。
そりゃママだって別にしなくて済むならぷんぷんしたくないんじゃ。きみのことが大好きだから、危ないこと誰かが困ることは止める、必要なことはしてくれという、それをもうちっと素直に聴いて欲しいだけなんじゃ、と言ってみても伝わっているのかいないのか。

とはいえ、嫌いだなんだと言われても、ひとりで生きていける年齢になるまで、お世話を放り出すわけにはいかない。これは法的な義務とかそういう話ではなく、私の意思の話だ。
だからって、嫌われ続けて愛情をフルに注げるかと言われたら、そら無理だわ、と思う。疲れちゃうもん。
子供は自分が産んだとはいえ、間違いなく別の人間だ。だから、いくら血の繋がった家族とはいえ、どうしたって合わないこともあるだろう。
我が子がいずれ大きくなって、もっと考えがしっかりして、またその時に本当にどうにも合わなかったら、それはそれで致し方ない。ちゃんと割り切れるようにいたいなと思う。

上手に大事にできているかは分からない。
いつか少しでも、分かってくれたらいいのだが。

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