【元適応障害】僕のOJTトレーナーは適応障害で退職した話。
自己紹介
こんにちは。バナボ千尋です。
僕は社会人2年目に適応障害で休職し、3カ月で復職したサラリーマンです。
現在も適応障害やその他精神疾患に悩む方に向けて、克服のヒントとなるブログを書いています。
僕自身のリアルな体験談は以下記事に書いていますので、気になる方は読んでみてください。
OJTトレーナーの出会いから休職まで
2022年4月、僕は今の会社に入社しました。
初日は入社式があって、偉い人のお話を聞いた後、
OJTトレーナーと挨拶をして、PCのセットアップを行いました。
ただ僕は、入社式に1時間も遅刻してしまったので、初日から周りと違う動きになりました。
OJTトレーナーとの挨拶の時間に、人事部長からの特別なお話が食い込んできたので、スケジュールは後押し。
前日のお花見が大変楽しかったものですから、つい飲みすぎてしまったんですね。
お恥ずかしい。
僕のOJTトレーナーはロン毛でカーディガンのポケットに櫛を指しているNさんという方でした。
初対面のNさんは少し戸惑っていました。
「松元さんだけ、何かあったんですか?」
諸々の話を正直に話すと、大爆笑されました。
PCのセットアップもほとんどNさんに済ませてもらってしまいました。
Nさんは毎日17時からの1時間必ず僕との面談の時間を設けてくれました。
お互い業務連絡がそんなに毎日たくさんあるわけではありませんから、ほとんど雑談でした。
でもその雑談で会社の雰囲気やリアルな職場の状況を気軽に聞けて、なんだかんだ有意義な時間だったのです。
共通研修が終わり、現場配属となるGW明け。
ある日、Nさんは会社に来なくなりました。
LINEも繋がっていたので、連絡してみましたが、返信はありませんでした。
適応障害でした。
僕のOJTは新しい人に変更されました。
新しいTさんは、僕からの質問には答えてくれるものの、基本的にコンタクトをとることはありませんでした。
OJTトレーナーの復職と退職
それから半年ほど経って、僕が業務に苦戦しているころ、Nさんの姿をオフィスで見るようになりました。
AM出社やPM出社。
短時間勤務から始め、徐々に勤務時間を戻しているようでした。
タイミングをみて、声をかけてみようと近寄りましたが、席の近くまで行くと、Nさんの手が震えているのが見えて、声をかけられませんでした。
なぜ手が震えているのか、そのときの僕にはわかりませんでした。
相当辛かっただろうな。
緊張感、不安感も凄まじかっただろうな。
でも、適応障害という名前すら知らなかった当時の僕はオフィスにいるNさんの存在を気にも止めていませんでした。
自分の生活で精一杯でした。
知らない人からすると、適応障害は他の精神疾患と比べ、なんだかよくわからないのです。
ただなんとなく、「仕事ができる人ではないんだな」という偏見を無意識に持ちます。
実際1年目からバキバキの目で仕事をしていた僕は、Nさんに対してそんな印象を持っていたと思います。
それから数日後、Nさんは退職されました。
その後どうなったのかわかりません。
Javaというメジャーなプログラミング言語に強いとおっしゃっていたので、技術は申し分なく、食うには全く困らないと思いますが。
あのとき何があったのか、いつか聞けたらいいな。
その1年後に僕も適応障害で休職したなんて聞いたら、また大爆笑するだろうな。
いつかNさんが僕のブログを見て、連絡をくれますように。
そのときまで、書き続けよう。
あなたのサポートで僕の活動を応援してください! 適応障害は年々増加傾向にあります。しかし、その病気についてはまだまだ知られていません。症状が改善しても悩んでいる人はたくさんいます。僕は実体験からこの病気について発信し、適応障害に悩む人々の安心できる社会を実現したいです。