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お父さんが僕よりも悔しがるから

自己紹介

こんにちは。バナボ千尋です。
僕は社会人2年目に適応障害で休職し、3カ月で復職したサラリーマンです。
現在も適応障害やその他精神疾患に悩む方に向けて、克服のヒントとなるブログを書いています。

僕自身のリアルな体験談は以下記事に書いていますので、気になる方は読んでみてください。

バスケットボール

僕はバスケットボールに興味を持ったのは小学2年生のころでした。
6つ上の兄が中学からバスケ部に入って、その試合を観に行ったことがきっかけでした。

兄がNBAを観ていたので、僕も一緒に観て、家の中で2人でパスをしてよく遊んでいました。
たまに兄のボールが速すぎて、キャッチできず、壁にボールがぶつかることも。
母がやめてと言うと、「ちっちが取らないからいけない」と兄は母に言っていました。
何回も突き指をして、だんだん突き指にも慣れていきました。

4年生でミニバスのチームに所属し、順調に力をつけていった僕は5年生でスタメン。6年生でキャプテンになりました。

ちょうどその頃、両親の別居が終わり、父が家に帰ってきました。

父は僕がバスケの試合で、活躍する姿を見るのが何よりも好きだったらしく、練習試合があれば必ず観にきてくれました。
でも、物心つく前に家からいなくなった父親とは別居解消後も微妙な壁があったせいか、あまり嬉しくありませんでした。
むしろ、僕が何もかも忘れて夢中になれる空間に入ってきてほしくなかったかもしれません。


後々母から聞いたのですが、「人生であまり良いことがなく辛い毎日だけど、千尋のバスケだけは希望があって観ていて楽しかった」と父は言っていたそうです。

市内大会

バスケットボールとは非常に初心者には難しいスポーツで、中学生の場合、ミニバス経験者と初心者でかなり差があるのが現実です。(もちろん身体能力の高い人で初心者でも強かったりします)
中学の市内大会で活躍するのは大抵ミニバス出身の人であり、僕もその1人でした。

優勝候補と言われていましたが、予選で負けてしまったのです。
優勝を目指していましたから、まさか決勝リーグにも行けないで終わるなんて。。、
僕はとても悔しかったし、現実から目を背けたい気持ちになりました。

家に帰ると、父が酒に溺れていました。
「なんだよ、そんなもんか。くだらん。期待して損したわ」
父は全く僕の負けを受け入れられていませんでした。

兄にダメ出しされることは良かったのですが、バスケのことを何も知らない父にあーだこーだ愚痴をこぼされることには納得がいっていませんでした。

僕はすっかり試合の負けよりも、父の機嫌に意識が向いていました。

「何もわかってないくせに」

そう思ったことは数えきれないほどありました。

あのときの僕はきっと、どんなに情けない試合だったとしても、
「お疲れ様、頑張ったな」
と、言ってほしかったんだと思います。

あなたのサポートで僕の活動を応援してください! 適応障害は年々増加傾向にあります。しかし、その病気についてはまだまだ知られていません。症状が改善しても悩んでいる人はたくさんいます。僕は実体験からこの病気について発信し、適応障害に悩む人々の安心できる社会を実現したいです。