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【記憶障害】ストレスによりすべてを忘れてしまったクラスメイト

自己紹介

こんにちは。バナボ千尋です。
僕は社会人2年目に適応障害で休職し、3カ月で復職したサラリーマンです。
現在も適応障害やその他精神疾患に悩む方に向けて、克服のヒントとなるブログを書いています。

僕自身のリアルな体験談は以下記事に書いていますので、気になる方は読んでみてください。

記憶喪失したクラスメイト

学校には不登校の子どもが必ずいるでしょう。
高3のとき、僕も不登校気味でしたが、同じクラスにもう1人不登校の女子がいました。
女子ハンドボール部のキャプテンで、部活を引退した後は燃え尽きたのかなと思っていました。
たまに学校で会うと、
「お、僕たちが揃うのレアだね」なんて話したことを覚えています。

なぜ彼女が不登校気味だったのか
そんなに仲も良くなかったですし、話す機会も少なかったので知りませんでした。
ただ、その子の親友のMさんとは仲が良かったんです。

ある日の放課後、自習室で勉強をした帰りに教室の前を通るとMさんが机に顔を伏せて号泣していました。
そんなMさんの背中を担任のえつこ先生がさすって、慰めているようでした。

何があったんだろう。
気になりましたが、さすがに聞ける雰囲気ではありませんでした。

翌日からのMさんは特に変わった様子はなく、後日、あれはなんだったのか聞いてみました。

「私が仲良い不登校のあの子いるじゃん?あの子が記憶喪失になったの。」

ちょっと信じられませんでした。
記憶喪失なんてフィクションの世界でしか聞いたことありませんでしたから。

詳しく聞くと、幼少期の記憶はあるが中高の思春期の記憶がすっぽりと無くなってしまっていたそうです。

Mさんは親友に忘れられてしまったことを知った直後は、ショックで受け入れられなかったそうです。

詳しく聞いても当時の僕には受け止めきれない内容でした。
不登校気味だった理由は心の傷だったんでしょう。
そして、記憶を失ってからは1度も学校で顔を合わせることはありませんでした。

どんな心の傷だったのか。
どんなストレスを抱えていたのか。
未だにわかりませんが、心のコップがいっぱいになってバサっと流れ出たときに記憶を失ったんだろうな。
そんな風に思っています。

その後Mさんは記憶を失ったその子に何度も会いに行き、学校のこと、友達のこと、部活のことをその子に1つ1つ説明したそうです。
すると、クラスで仲が良かった女子グループの子たちの名前と顔だけは思い出せたそうです。

それでもほとんど何も覚えていない学校に通うのは難しく、卒業式も来ませんでした。
卒業式の後、クラスの何人かで打ち上げをすることになりましたが、Mさんは彼女に卒業証書とお花を届けに行くと言って参加しませんでした。

精神的ストレスが身体に及ぼす影響

精神的につらいことは、子供のころからいくつもありました。
しかし、つらいことがあったときに病院に行こうという発想になったことはありませんでした。

そんな僕が心療内科に行ったのは仕事中に手が震えたり、涙が勝手に出てきたりと意味のわからない現象が物理的に起こるようになったからです。
これは、何かがおかしいという確信ができたんですね。
そして、その原因は職場のストレスだったわけです。

ストレスケア、メンタルケアは馬鹿にできません。
どんなスキルよりも重要だと思いますよ。
過度なストレスが蓄積されれば本当に身体に影響を及ぼすんですよね。
不思議な現象です。

高校生の僕は、記憶障害を起こすほどのストレスなんて想像もつかず、不登校の子の存在に見て見ぬふりをしていました。

ストレスによって、大切な人や思い出を無くすなんてどんなにつらいことでしょう。

大きなストレスを抱えて良いことなんて1つもありませんね。


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