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NOユーモアスピーチの君へ

食べられませんコミュニケーションをしていませんか?

これからの組織はピラミッドではなく球体のような形になると言われてからも何年も経つが
未だにピラミッドは日本社会の至る所にそびえ立っている。

自分は週の半分を建築業界に捧げているw

建築業界と言うのは、得てしてピラミッド社会であり、できるだけピラミッドの先っぽの方に近いおじさんを重宝したがる。
(日本社会はどこでもそうか…)

ピラミッド先っぽ近い系おじさんが現場に来ようものなら、監督連中は目の色を変えて、普段は綺麗ではない現場内を綺麗にしたがる。

いや、もっと突っ込んで言うと職人の手を止めさせてまで清掃を促す。

何より、先っぽおじさんにツッコまれないことこそが現場の第一優先課題になるのだ。
(卑猥になった…)

要するに他所行きの服を現場に着させているのだ。

先っぽおじさんよ、あなたにお伝えしたいことがあります。
あなたは、皆んなに丁寧に扱われ過ぎて、嘘をつかれています。
夢を見させられています。
建前で接しられています。

あなたは大勢の社員に囲まれて、スーツをめかし込んで訪問されますが、個人的にあなたのことを裸の王様だと思ってみております。

ええ、あなたはスッポンポンです。
スッポンポンじゃないよ!って言ってくれる人達のおかげでスッポンポンです。

まあ、愚痴はこの辺にして、本題に入ろう
そう、スピーチ。
日本全国、なぜかスピーチの特権を許されているのは、おじさんである。

そりゃ、スピーチを幅広く見れば、子供なり女性がスピーチする場もあるが、自分が経験して来たかしこまった会、式、パーティーの大半でスピーチの場をおじさんに与えているところを目の当たりにしてきた。

思えば、小学生の頃からこの役目はおじさんにしか与えられていない。
だけど、何もスピーチはおじさんばかりがしていてズルいじゃないか!俺にもやらせろ!など
そんな下剋上を狙う、いけいけロン毛若手社員的なことを言いたいわけではない。

おじさんがスピーチするのは別にいい。
そのおじさんが
ハゲ散らかしていても
汗をかきまくっていても
口が臭くても
スピーチ中に噛んでも
前日にパパ活をされていても
問題点はそこじゃない。

問題は、スピーチの始まりから終わりまで
一度もユーモアを挟まないことだ。
これに憤慨しているのであり、残念過ぎて冷めたお赤飯を食べようかと思っているのである。


ここがアメリカだったら、ブーイングの嵐である。

選挙戦
ハーバードの卒業スピーチ
バラクオバマ
ヒラリークリントン
スティーブ・ジョブズ
ここにあげた誰1人としてスピーチ中にユーモアを挟まなかった者などいない。

いいか? このクラスとてだ!
(語気が強くなった)

我らが日本の英雄、イチロー氏でさえ、アメリカのスピーチではユーモアを挟んだ。

それが文化や国の違いだと言われたら、聞く側の我慢する力に甘えすぎである。
そうか! だから入学式も朝礼も卒業式もユーモアを一度も挟まないスピーチをされることで鍛えられていたのか! ……とはならない。

夏場になれば、建築業界と言うのは、口がさらに乾くほどに熱中症対策と言うワードを連呼する。

その熱中症を促しているのが、カンカン照りの太陽と日本特有の湿気、そしておじさんの朝礼でのノーユーモアスピーチである。

熱中症になりやすい場に聞き手を並ばせて、熱中症対策をしましょう!と言いながら、
本人が熱中症へと追い込んでいる状況は、もはやコントである。

確かに話さなければならぬこともあるだろう。
伝えなければならぬこともあるだろう。

けど、それを伝えましたよ!私はやりましたからね!
という程を済ませたことが第一になるのが日本社会、日本企業のあるあるだ。

要するに、乾燥剤に食べられませんと書いときゃいいよね〜と言うスタンスなのだ。
食べられません!と言いましたからね!
僕は任務を果たしましたからね!なのだ。

人の気持ちを無視した言葉が相手に届くことはない。

キャッチボールは相手が捕りやすいところ目掛けて投げる胸元にズバーン!こそが理想だ。

スピーチもそうである。
相手の心を動かさなきゃいけないのだから。

とにかく私、投げますから捕ってくださいね
これは始球式だ。

始球式もやはり見てる側より、投げている本人が勝手に緊張したり、喜んだり、楽しんでいるではないか。
(面白い人もいるけど)

日本社会にはもっと、楽しませる気持ち、遊び心が大事だと思う。
相手への想いやり、これに尽きる。

それを踏まえ、自分はどうなのか?
相手の我慢に委ねるような、つまらないおじさんにならぬように毎日ふざけます。

ちんちん。

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