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コミューンで暮らしてみたくて、イスラエルのキブツで働いてみた話


前から少しずつ、イスラエルのキブツで働いていた時の話を記事にしていますが、今日は「キブツ」とは何ぞや、ということを書いていきたいと思います。

―――キブツ

農業共同体、社会主義的・集団主義的協同組合、コミューン…
などといった言葉で表される「キブツ」。

イスラエル大使館のサイトによると、このように説明されています。

平等と共同体の原則に基づく独自の社会的経済的枠組みであるキブツは、20世紀初頭のイスラエルの開拓社会の中で生まれ、恒久的な農村の生活様式へと発展しました。長年にわたって経済的繁栄をもたらしてきたキブツは、最初は主に農業を行っていましたが後には工業やサービス業にも拡大され、イスラエル建国にも多大な貢献をしました。
>キブツについて(駐日イスラエル大使館)

なんだかわかるようなわからないような。

そんなキブツについてと、実際に現地で暮らした経験や、見聞きしたことを、備忘録的に書いていきます。
(長くなるので、かいつまんで読んでください)

コミューン的な暮らしを知りたくて

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実は私も、初めてイスラエルに行った時に聞いたのか、そのためにちょっと勉強した時に聞いたのか、よく覚えていませんが、なんとなく言葉は聞いたことがあるものの、何のことなのかよくわかっていませんでした。

2013年に初めてイスラエルを訪問して、他にもいくつかの周辺国に訪れたのですが、一番何が何だかよくわからず(政治的にも社会的にも)もっと深く知りたい!と好奇心が駆り立てられたのがイスラエル。

帰国後、大学の図書館にある関連書籍を読みまくっているうちに、キブツという共同体があり、なんとそこで外国籍の若者が「ボランティア」というステータスで働きながら滞在できることを知ります。

「キブツに行ってきた!」
というと、キブツという特定の場所に行ってきたように思われることがありますが、キブツというのは特定のスタイルの共同体のことで、いわば「村」や「町」みたいな感じ。キブツという単位のコミュニティがイスラエル内に複数あります。


当時は、イスラエル大使館にキブツの説明ページはなかったと思うし、ネットに体験記を見つけることもできず、大学で読んだキブツ体験者の書籍の話は、1980年代のことだしだいぶ古い…。

建国から日が浅い、イスラエル。20年前のキブツが今のキブツと同じとは思えない。今キブツがどうなっているのか、確かめるには自分で行くしかない!
と、なぞな使命感を感じた私は、イスラエル人の友達にも相談しつつ、次の年にキブツに滞在することを決断するのです。

いろいろ調べてみると、社会主義といわれるゆえん、個人の所有の概念はほぼなく、「みんなのものはみんなのもの」。家にはキッチンがなく、食堂でみんなで食事をし、みんなでキブツのことを決める。車や家はキブツ所有。
キブツ全体が一つの大きな家族のように、キブツの子どももみんなで育てる…などなど。

外国籍のものが「ボランティア」として滞在できる仕組みは古くからあるようで、イスラエルの暮らしを体験したい人や、社会主義的な暮らしに関心がある人が短期的に、キブツで住み込みで暮らせる仕組みです。
イスラエルが建国された後も、政府が「ボランティアビザ」を発行していて、実質キブツで働くためのビザとなります。
(事前にキブツビザを取得してからイスラエルに行ったのですが、帰国後友達になった人が駐日イスラエル大使館で働いており、私のビザを発行した(申請数が少ないので覚えてくれていたみたいです笑)ことが判明し、世界は狭いなあと感じました)

経済学を専攻していて、経済思想やシェアエコノミー、貨幣などになんとなく関心があった私は、資本主義社会(イスラエル)の中にあるキブツの今は!?といてもたってもいられなくなったのでした。

当時既にパレスチナ系のひとも含め、アラブ人の友人もいたため、本当にキブツに行くのか、少しためらった節もありました。ただ、なんとなくのイメージでただ避けるよりも、より深く知るためにも現地に長く滞在する方法としても、好奇心に従い、まずは行ってみることにしました。

(とはいえ行ってみたら、キブツの構造云々以上に、いろいろ起こったのでそれについてはこちらの記事にて)

キブツは失敗している?

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理想郷として語られることがあるキブツ。
上で紹介した書籍にも、「ユートピア」という言葉が使われています。

確かに、社会主義的な大きな家族で、みんなで生活し、みんなで労働し、協力しながら豊かに暮らしていくコミュニティが成功しているとしたら、理想郷のようです。
キブツはイスラエルの農業を支えている面もあるようです。

冷戦期は、東側の"理想"の生活を夢見て、キブツにボランティアとしてきた人もいるとか。
今や完全な社会主義国家はないといっていい状態だけど、そんな中その理想を実現しているとしたら…

でも、実際はなかなかそういうわけにもいかないようです。

私が滞在したキブツには10人ほどのボランティアがいましたが、そのうちの一人はインドからきた大学生(しかもインド工科大でエンジニアを学んでいるという秀才)。
彼も、キブツの理想郷的な性質に惹かれ、インドのコミュニティ開発にも生かせるのではないか、という仮説をもってキブツに来ており、キブツ内の住人にインタビューをしたりして調査をしていました。

しかし、滞在の後半「キブツは失敗している(Kibbutz is failing)」と失望していたのをよく覚えています。

私も彼について行ったり、個人でキブツの住人と話したり、あとはイスラエル人と結婚しキブツに住んでいた日本国籍の女性と会話を通して、時代の流れによって、大きく変化しているキブツの様子を知りました。

コミューンからただの街へ

興味深いな、と思ったキブツの変化について、いくつか紹介したいと思います。(2014年調べ)

■産業の多角化
多角化自体はネガティブなことではありませんが、もともとは日本語で「農業共同体」といわれていたこともあるくらいなので、キブツごとに農業を中心とした産業がありました。
現在は、当然産業も発展しているので、オーガニック農園、畜産、ホテル経営、工場経営など、キブツの産業も多角化しています。
イスラエルはコンテンポラリーダンスでも有名なのですが、ダンスカンパニーを持っているところもあるようです。コンテンポラリーダンスをかじっていたこともあるので、ぜひサマーワークショップに行きたかったのですが、20歳までの年齢制限があり、当時21歳の私は泣く泣くあきらめたのでした…(ただテルアビブにスタジオがいくつかあるので、ドロップインでレッスンを受けられるところもあります(キブツ関係ない))
■個人主義の導入
キブツの特徴でもある所有の概念についても、この資本主義の社会の中で変化していっているようです。家庭ごとの所得の別々に管理されているし、キブツの中で全員が労働しなければいけないことはなく、キブツの外で仕事をしている人もいるし、外の学校に行く人もいるようです。その場合は、キブツに共益費という形でお金を払っているそうです。
私が滞在したところは、キブツらしく貨幣を使わずに生活ができるようになっていたのですが、世帯ごと(ボランティアは個人)に番号が振られていて、たとえば食堂でご飯を食べるときは、自分の番号を伝えると、だれが何をどのくらい頼んだかがクレジットのように記録されます(POSのような機械がありました)。
■生産性の低下
またこれも興味深いのですが、キブツ内の労働の生産性が悪い、ということに文句を言っている人が一定いたことです。
イスラエルという国自体は、資本主義ですし、最近はスタートアップ大国としてハイテック産業が盛んです。キブツの生活と言えば「古き良き」というか、若者にとっては「つまらない」生活とも言えます。エンターテイメントは少ないし、いいパフォーマンスをすれば給与が上がるわけでもない。より「成功」を求める人は、キブツを離れていきます。そうやって離れていく人の中には、競争の激しい社会でうまくいかず、キブツに戻ってきてしまう人もいるそうです。
優秀で野心がある人は出ていき、そうでない人が残る。キブツの生活は優しいので(だからこそヘブライ語がわからない外国人でもボランティアとして働くことができます)、「外」の世界では不要と思われるようなポジションもあるようです。それによってキブツ全体で見たときの生産性が下がっていると。
ユートピアといわれる生活だからこその皮肉ですね。
■キブツの「切り売り」
上で上げた生産性の低下につながりますが、中にはキブツ的な経営がうまくいかないところも出てきているようです。キブツで経営していた小売りが、外部の企業に変わったり、だんだんキブツの機能が外の営利企業に「切り売り」されていく現状もあるそうです。

実は、すべてのキブツで海外からボランティアを受け入れているわけでもないそうです。
ボランティア制度も含め、キブツ的な性質が失われていくと、キブツという名前をもちつつ、中身は他の町とあまり差がないようなコミュニティになってきてしまいます。


という感じで、ひとことにキブツといっても、それぞれでだいぶ様相が違うみたいです。キブツでお世話になったご家庭もいくつかのキブツに住んだ経験が合ったり、キブツ出身のイスラエル人の友人に地元に連れて行ってもらったり、いくつかのキブツに訪問したり、話を聞くことがありましたが、規模も気候もカルチャーも(どのくらい宗教的かなど)キブツによって様々なようです。

今でも生き続けるキブツスピリット

とはいえ、キブツらしい(と私が言っていいのかわかりませんが)雰囲気も残っているように感じました。

外国人、ヘブライ語がわからないのはもちろん、人によっては英語も流暢じゃない人が労働力として働けるような環境。

イスラエルへの帰化を考えている人、帰化して間もない人(あとは単にヘブライ語を学びたい人)が、ヘブライ語を学ぶ施設(ウルパン)があること。

そして、キブツはよくイスラエルの人の開拓者精神と結び付けて語られることもあるのですが、私が滞在したキブツは南部の砂漠にあり、北部のキブツに比べて歴史が浅いため、開拓に関わったおじいさんやおばあさんが今でもご存命でした。
キブツの周りを見渡すと、基本的にサボテンと砂と岩しかないところだったのですが、そこにいかにして緑があふれるキブツを作ったのか、お話を聞くことができたのは不思議な感覚でした。

小さな田舎社会であることは間違いなくて、キブツ内に1つだけあるバーは週に3回しか開かない。クラブなんかのエンターテイメントはない(本当はクラブはあることはあったけど、運営する人がいないから長いことしまっているそう)

ただひたすら話したり、散歩したり、サッカーボールを蹴ったり、ビールを飲んだり、くだらないゲームをしてショットを飲んだり。
新しいボランティアが一人来ては去り、2か月しか滞在しない人もいれば、1年近く滞在する人もいる。
ゆったりと時が流れる、何もないけど人間臭い空間でした。

キブツのキブツ的なコミュニティは崩れつつあるけれど、近頃はアーバンキブツという都市型の共同生活もあるようです。
都市のビルの中で、キブツ的な生活をするというもの。なんかシェアエコノミーみたいな感じですよね。
(滞在中にイスラエル人の友達が教えてくれました)

Urban Kibbutz興味ある!知りたい!といろんな人の聞きまくったんですが、当時いたキブツがUrbanとはかけ離れた場所にいたので、訪問できず…
キブツの住人の親戚でも、Urban Kibbutzに住んでいる人がいる、と言っていました。

久しぶりにUrban Kibbutzで検索したら、いくつか新しい記事もありました。

(え、Urban Kibbutzのプログラムもあるみたい?)


キブツへの批判的視点

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と、キブツの機能的な話をたくさんしていきましたが、ちょっと歴史的な話を。

キブツは、イスラエルという国ができるずっと前からあります。
初めてのキブツは1909年に現在のイスラエル北部にできました。
イスラエルの建国宣言がされたのは1948年なので、半世紀ほど前ですね。
もちろん、シオニズムの影響もあります。

旧ソ連から迫害を逃れるようにイスラエルの地に来たという話もあります。
ガラリア湖などがある北部は、南部に比べて気候的に農業がしやすかったとか。

そして南部のキブツは、イスラエル建国後に国策的に作られたものが多いそうです。
緑化計画!といいつつ、南部に住んでいるベドウィン(アラブ系遊牧民)対策もあったと言います。
また、建国後に増えた人口の受け皿として、居住地を増やす目的もあったそう。

移民受け入れ(居住地)、国防、そして農業開発などの観点で重要だったと。

イスラエルという国の建国自体が議論を呼んでいるのと同じように、キブツの建設にあたっても、それによって壊された村もあるということは触れておきたいと思います。
(数年前アラビストの友人に、そのことが書かれている本をもらいました)

この辺は非常に複雑なので、このくらいに。

またちょくちょく書いていこうと思います~

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