見出し画像

トレバーに捧ぐ - 見えない苦しみを抱えて生きること

ちょうど先週、一度だけあったことがある南アフリカ人の親戚が亡くなったという。彼女は大学に入学して、数年経ったくらいでまだまだ若かった。

彼女の父親はアパルトヘイト時代にホームランドと呼ばれた人口85%ほどいた黒人に対し13%あてがわれた”自治区”の一つ「トランスカイ」を生きた。高校を卒業しておらず、トランスカイで人生のほとんどを過ごしているので、英語が話せない。彼の子どもたちの中で初めて高校を卒業して、大学に入学する予定だ、と前に会った時に聞いたのを覚えている。

シャイで会話らしい会話はできなかったけど、どこか誇らしげな表情だった。

彼女の祖母は、アパルトヘイト時代だったのにも関わらず、アメリカに留学したエリートである。祖父母は話せばすぐわかる、アメリカ訛りの流暢な英語を話し、立派な家を建てていた。彼女の祖父は、私の義父の叔父である。
それでも多くの子どもたちをアパルトヘイト時代に育てることは容易ではなく、教育をしっかり終えたものとそうでないものがいるという。

彼らの家族を見ていると、親が英語を話せるか否かで、子どもたちの学業成績に大きな影響があるようにも見れる。

そんな家族の期待を背負って大学にいった彼女は、精神的な不調が続いていたという。直接的な要因は聞いていないが、帰らぬ人となってしまった。


大学でのフェアウェル

こうした話は初めてではない。
私も大学院に通っていて、小さな研究センターに所属しているが、ここ3年で私よりも若い学生のフェアウェルが2回あった。彼女たちは若くしてこの世を去ってしまったのだ。1学年10人強くらいの小さいセンターでこれである。

偶然か否か、親戚も、センターで見送られた2人も、若い黒人女性だった。

同じような属性の人で、精神的な困難を抱えて生きている人に出会ったことは何度もある。

南アフリカは、ものすごく格差がある国だ。
アパルトヘイト時代に作られた歪んだ社会構造は、今でも生きている。
貧富の格差は拡大しているものの、「黒人中間層」とも呼ばれる、かつてはなかった有色人種の中流階級〜富裕層も増えている。

ただ、彼らの生活も楽ではないことは、生活していて見えてくる。

各大家族の中には、彼らの稼ぎを頼りにしている人はたくさんいる。ただ、彼らが教育をうけ、今の仕事に就くことができるのも、家族の中の誰かが、教育を犠牲にして日銭を稼いで若者に投資したからとも言える。

ただ、彼らの抱える課題はそれだけではないような気がするのだ。
高等教育やホワイトカラーの仕事は、文化が全然違うのだ。そこに順応すればするほど、家族との文化的なギャップが大きくなる。
親族みんなの期待を背負うことで、精神的な負担が蓄積されていく。
同僚の家庭環境と、埋められない差を感じる・・・

私には想像することしかできないけれど、若くして去ってしまった彼女たちは何を経験してきたのだろう、と考えてしまうのだ。

トレバーは、突然いなくなった

トレバーは、同じアパートメントに住んでいる友人だった。大手企業のソーシャルアナリストで、AIなどのデータ分析に強かった。ソーシャルサイエンスのフィールドにいるもの同士、たまに会った時には雑談をしていた。
通っていたジムも一緒だったので、会うと必ず挨拶をしていた。
男性用のサウナでは、私のパートナーもよく長話をしたという。
海外旅行にもたまにいっていたし、ヨハネスブルグとケープタウンを行き来していて、一見順調なエリートキャリアを歩んでいた。

ただ、彼はいつも一人だった。

そして、彼はクィアだった。

それがどういうことはわからないけど、ある日彼は、自分の意志でいなくなってしまった。

ずっと連絡が取れないということで、友人が自宅に行ったのだという。
私は海外出張中だったが、突然すぎる訃報に言葉も出なかった。
出張前で忙しくて、彼と話そうと思ったけど、またねと言ってしまったのだが、その「また」はもう来ない。


私のパートナーの同僚でも、突然自らの意志で去ってしまった人がいる。
この国は一体どう成っているのか?


清掃員のおばちゃんたちを話していると、彼らのコミュニティでは葬式が多いことに気が付く。衛生環境や貧困が、彼らの立場を脆弱にしているのは想像がつく。
でも、学問やキャリアを積んだ先にある、彼らが直面する苦しみはなんなのか。


彼らの苦しみは、彼らにしかわからない。
でも、確実にここは日本で暮らしていた時よりも、命について考えさせられる機会が多い。
私にできることなんてないかもしれないけど、尊い美しい命に祈りを捧げたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?