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ロマンス客我二元論

恋とは一体なんであろうか、

あの日僕が溺れてしまった毒は、
あの日私の目を覆い隠した光は、
果たして本当に恋だったのだろうか。

恋と呼びたかっただけの、
エゴが吐き出した幻だったのではなかろうか。


お久しぶりです、皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。
遣らずの凡です。
GWも明け、五月病が本格的に我々を蝕み始める季節ですね。
連休は嬉しいけれども、これからしばらく祝日がない、というのもまた苦ですね。4月の間は連休が先に待つことへの期待でなんとか乗り切れても、連休明けに気力がふしゅ〜っとしぼんでしまうのも詮ないことです。どうか皆様、お体ご自愛くださいませ。
さて、挨拶はこれくらいにして、本題に入りましょう。

腑に落ちない

GW中に私は地元へ帰省していたのですが、その際とある友人と初めて直接会ってお茶してきました。
初めて会うけど友人、というのは、以前から互いにSNSでやりとりをしていたにもかかわらず、直接会ったことがなかったからです。妹の高校時代の同期で、なんだか面白い人らしいと聞いており、こちらからSNSをフォローしに行って、DMで色々と話すようになりました。価値観が非常に近く、本人の個性的な感性がとても魅力的だったので、帰省のタイミングが重なったら是非会おう、と話していました。

実際に会ってみたら本当に予想の通りで、私自身も飾らずに話せたこと、笑いのツボが近いこと(私は俗に言う「ツボが変」「ツボが浅い」「ツボるとずっと一人で笑い続ける」タイプなので、なかなか珍しいのです)、そして地味にビジュアルが好みの割とど真ん中を射抜いてきたこと、これらが合わさって非常に魅力的に見えました。

昔の私であれば、何も疑わず「これは恋かも!?」と即座に確信していたかもしれません。
そう、言及を後回しにしましたが、この友人は異性です。

しかし、今の私の心のひだには高揚感だけではなく、何かがつかえているかのような違和感がしがみついていました。

もしも「付き合う」という儀式をすれば、私は「彼氏/彼女」の片方の役割を担っているように周りからは見えるわけか。
「〇〇の彼氏」「〇〇の彼女」、人の話に関して使うのはなんのためらいもないけど、いざ自分がそこにはまるとなると……..


なんだか、気持ち悪いと思ってしまったのです。

恋はしたくないわけじゃないし、
自分が魅力を感じた人に近づきたいと思うのは自然なこと。
でも、そこにどうして「地位」が発生してしまうのか…..
いや、人間社会で生きていく上では避けられない話なのはわかっています。
自分たちが親密な関係を築いていると言うことを周囲に示さなければ、周囲の人々がどう私たちと接するべきか困ってしまうからです。
それがどうしても嫌なら誰もいない辺境の村にでも二人で逃げてから、「私たちは特別な関係だ」と互いに誓い合い、ささやかに暮らせばいいのですが、まあ無理でしょう。

そして、私の場合は自身を中性的でありたいと望み、他者からもできるだけ中性的な存在として認められたいと思っています。自身の固有の性別ならではの特徴や弱点を愛しながらも、自発的に性別固有の要素から離れようとしているので、社会や世間からの要請でそこに私を割り振られるのを、どうしても素直に受け入れ難い自分がいます。

いや別に気にしなければいいだけの話なのですがね。
私の器にはどうもそこまでの強度がない。
これまでもこれからも、一般的な恋をするのは難しそうですね。
あっ完全にこれは私の感性の問題なので、友人には何も悪いところはありません!A氏、ごめんなさい😭


ノーマルでマジョリティで理解されて

とはいえ、実は全くの恋愛未経験というわけではありません。数は少ないですが。
高校時代、異性の恋人がおりました。(便宜上Bとしておきます)
最初アプローチしてきたのは向こうでしたが、私も友達としてとても話しやすい存在だと思っていましたし、ついでに見た目も結構好きだったんですね。青春に盲目だった私は、向こうからの告白にも良い返事をしたわけです。
周りに自分から広めるのはなんとなく嫌で控えていましたが、そりゃどこかから広まるわけです。私とBは付き合っていると瞬く間に学年全体に広がりました。まあちょうど修学旅行直後で他にもカップルがいくつも成立していた時期でしたので、大ニュースというわけではなくとも、「私はBの恋人である」というステータスが、友人たちの頭の中の図鑑の私のページに追加されたわけです。
まあ、楽しかったですね。
自分は恋をしているのだ。恋人がいるのだ。
一緒に帰る何気ない約束が、とてつもなく楽しみで。
選択授業で同じ教室で授業を受ける時、そこにBがいることをなんとなく意識してしまうのがむず痒いのに、ちょっと心地よかったりして。
並んで歩きながら、ふと腕と腕が触れる瞬間の恋人の体温が、永遠に感じられたりして。
当時まだ自分が固有の性別にはめられることに対して違和感は持っていなかったので、「恋人(彼氏/彼女)」の立場に収まっている自分が心地よく、そしてそれをまるで特権のように感じていました。みんな見てくれ、私はBの「彼氏/彼女」なのさ、特別な経験をできるくらい自分には魅力があるんだ、などと、自身のステータスとして消化していた部分もあったかもしれません。今思うと愚かですね。

まあ結局あとから「あれ?」と思うことが多くなったので、卒業とともにBとは別れました。Bは付き合いだしたら意外と自分から話さないタイプだとわかり、こちらばかりが気を遣って疲れることが多かったためです。この経験から、私は恋に恋するタイプだったのかも、とわかり、今の恋に対する違和感につながっています。

それ以来、人に対して一方的に恋に似た感情を抱くことはあっても、叶えようと行動するまでの気力も行動力もわざわざ発動させようとは思えなくなりました。
ありがたく「恋愛関係になりたい」という意思を表示されても、この感性によって迷惑をかける事が嫌でしたので、いくらその人が魅力的でも「友達でいたい」などと調子の良いことを言って願望をへし折ってまいりました。

恋ってなんでしょうね。
人それぞれの答えがあるべきですので、私のこの考え方も決して変なものだとは思っていません。
引き続き考え続けていきたいと思いますし、皆さんの考え方もお聞かせ願えれば幸いです。


でも第三者としては恋愛万歳なのよね〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?!?!?!?!?

「恋」の当事者になるのは、このように私にとってはちときっっついです。
なんというか、漠然と憧れているくせにいざとなると自分が居た堪れない。
「恋」とか「彼氏」「彼女」「付き合う」こういう一般的なワードでさえ、口に出すのがいつもむず痒いです。


でも!!第三者としては!!!仲の良い恋人たちを!!!推していたいのです!!!!!へっへへへへ!!!!!
急に情緒やばくてすみません。
自分のことは置いといて、やっぱ人と人が愛し合うというのは非常に尊く温かく美しいことであると思っています。あ、人だけじゃないね、愛をもつ生けとし生けるものは全て。
愛の形はそれぞれにせよ、当事者たちが当事者たちなりの、千差万別の方法で互いを必要とし、支え合い、弱さや醜さも含めて互いを慈しむ。
至高ですね。
というわけで私はどんな恋愛も最高にありだと思っています。
ツイッターやインスタの漫画家さん・絵師さんのカップルイラストや恋愛漫画を見るたび、いつも「尊い」と叫びながら携帯を投げています(過激だな)

簡単にいうとただのオタクなわけですが。
他人の恋路は全力で見守っていきたいですね。


あとがき・余談

今回も描き散らかしてしまいました。毎度書いているうちに自分でも言いたいことありすぎでは?と自己嫌悪に陥ります。読んでくださる方、いつもありがとうございます。

さて、3月に一度もnote執筆を行わなかったせいで、6ヶ月の連続執筆記録が途絶えました😇
最初は毎日の連続投稿記録を諦め、毎週投稿を諦め、せめて毎月投稿だけは続けるぞとハードルを下げていたのに…….無念。
しかし考えていることはやはり日々積もっていきまして、そんな後ろめたさにグーパンされている場合では無いのです、ぼちぼちまた投稿していきますのでよろしゅうお頼み申し上げます。


そして最後に!最近ハマっているBLラブコメ漫画が非常に面白いのでおすすめしておきます。笑いすぎて過呼吸起こしそうになっています。苦手意識のない方、興味ある方はぜひ。(R18描写はないのでBL苦手でも癖の強いラブコメとして読んでいただけるかと思っています。またBL好きの皆様は「わかる!!!!」と共感ヘドバンせざるを得ないシーンがたくさんあるので楽しいと思いますよ^^)

イケメンに転生したのにここはBL界!? 「巨乳好きなのにBL界に転生しました」を読んだよ! #マガポケ
https://mgpk-api.magazinepocket.com/landing?t=2017



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