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Game Winner

いまNBA(バスケ)がアツい。
コロナでシーズンを中断していたが、選手・スタッフ・レフリーなど関係者全員を特定の施設に隔離してシーズンの残りを戦うというウルトラCで再開している。

で、今はプレイオフ進出チームが出揃うタイミングなのだが、その当落線上のチームにポートランド・トレイルブレイザーズというチームがある。
そしてそのチームのエースであるリラードという選手が再開したリーグの話題をかっさらっている。

超人たちが集まるNBAの中で、その超人たちですら驚愕するような活躍をし、その活躍から生まれるゴシップも相まっていまのNBAの話題の中心はリラードである。

最近のNBAではエース級の選手が同一のチームに集まり優勝する、というのがトレンドなのだがリラードはブレイザーズというチームに拘り、強豪チームに移籍して単純に近道で優勝を目指すよりも、遠回りでもブレイザーズで勝つことが重要だ、というような昔気質の選手で、プレイスタイルは強気強気の不言実行スタイル。

ポーカーフェイスでビッグプレイを連発し、アメリカバスケ特有のトラッシュトーク(相手を貶したり煽る行為)で対戦相手から「マグレ」「大したことはない」と言われ、対戦相手の妻からも「夫より劣る」とSNS上で攻撃され、勝負どころのシュートを外したときには相手ベンチから「残念でしたサヨナラ~」とばかりに手を振られても、臆することなく冷静に言い返す(「去年おれに負けたのが悔しかったのだろう」)などコート内外で気が強くブレない選手だ。

そのリラード率いるブレイザーズは、勝てばプレイオフへ大きく繋がり、負ければシーズン終了の試合で、エースのリラードがエースたる活躍で1点差の大激戦を制したのだが、試合を決めたプレイはエースのリラードのゴールではなく、リラードの相棒・CJマカラムという選手の1on1からのシュートだった。

そしてそのCJマカラムが1on1でゴールに沈めたそのボールは、その直前のプレイでリラードが相手のボールをカットしルーズボールに飛び込み体を張って奪ったものだった。

その試合を観た某解説者が「結局は最後の勝負どころでいかに働くか」と言っていて、更にそれに同調・補足するように某元プロ選手が「winning play(勝負を決めるプレイ)はシュートだけじゃない。リバウンド、ボックスアウト(体を張って相手を封じ込めるプレイ)、色々ある。子どもたちもその意味を知ってほしい。」と言っていた。
まったくおれも同意見である。

おれは自分が現役で(バスケ)プレイしている時からそうなのだが、チームが力を合わせてそれぞれが持てる力を出せたのならば勝てなくてもいいと思っている。

勿論負けてもいいわけじゃなく勝ちたいし、勝つためにプレイしてるのだがそれよりも重要なことがあると思っているタイプだ。

ただちょっと詳しく言わせてもらえば、よく「団結してチームワークでたたかう」なんて言いがちだが、それは嫌いなのだ。我ながらややこしい。

各々が自分の勝利(=チームの勝利)の為に得意・不得意を越えて、ときに犠牲になり、ときにチームを救い、純粋に勝ちを目指すのが理想であり、勝つか負けるかは結果論だと思っている。
『個人の集合体』としてチームがあるべきで、チームワークという響きの良い言葉の影に隠れないでほしいのだ。

息子のチームを見ていて一度だけその理想の状態で戦った試合があった。

息子のチームはまだまだ弱く、歓喜の涙よりも悔し涙のほうが多い(悔し涙が多いのはきっと強い弱い上手下手に限らず多くのスポーツ選手がそうなのだろうとも思うが)が、ある試合で劣勢だった息子のチームは何とか敵の猛攻を凌いでいた。

コートサイドの保護者応援席の目の前を、抜かれた味方のカバーに息子が走っていく。家では見ない必死な顔。それだけでおれは少し涙腺を刺激されるのだが、息子は見事に敵の侵攻を潰しクリアする。
すごいなあ、と感動する間もなくまたクリアボールを拾われそこからパスが出る。チームメイトが精一杯追ってパスの精度を落とさせ、また別のチームメイトはそのパスを跳ね返す。

文章にすると他愛もない普通のサッカーのワンシーンなのだがおれはこの数十秒・数分の攻防にめちゃくちゃ感動した。比喩表現じゃなく実際に一瞬涙で景色が歪むくらい感動した。

ピッチ上の全員一人残らず戦う集団になったのはこの時だけだったかも知れない。コーチや選手、他の保護者は知らないがおれにとって間違いなく今まででベストな瞬間だった。


息子は頑張っている。
頑張っているし、ある程度実力も発揮している。
チームでも重要な役割を与えられている。
最終ラインのディフェンダーとして相手のパスやドリブルを止め、抜かれた仲間のカバーや相手の裏パスを潰す。
そして息子のチームの攻撃は大半が息子のビルドアップのパスから始まる。

ただこれは玄人向きで、サッカー経験者のお父さん方からは高い評価をされているのだが、経験者じゃないとなかなか息子のプレイの良さはわからない(とりあえず息子の未熟な部分は棚に上げる)。

妻が試合を観ても「頑張ってたよ」としかわからないし、じいちゃんばあちゃんに会った時も「サッカー頑張ってるか?ゴールは決めたか?」と言われる。

ゴールが全てじゃないんだ!息子の良さはまた違うところにあるんだ!
と叫びたくなるが、まぁおれも大人なので叫ばない。

ただせっかく頑張って、しかもチームの役に立ってるのだから、せめて身内は理解して褒めてほしいな、と思うのだがやはりゴールを決めないと未経験者にはなかなか伝わらない。

いつしか息子の良さが伝わるためにも息子ゴール決めないかな、とおれがゴールを求めるようになってしまっていた。本末転倒だ。
そんなおれの気持ちのブレを吹き飛ばしてくれたのはリラードのプレイだった。


それにしても春頃はコロナで世界中のスポーツがストップしていたが、その間の味気なさと言ったら想像以上だった。
スポーツを始めエンターテイメントは不要不急とされがちだが、その不要不急が日常にある豊かさを実感した。

第2波とされる流行期がまた来てしまっているが、そういったエンターテイメントはコロナ禍における希望の光だ。
景気も悪く、コロナ感染のニュースばかりで先行きも見通せない現実の中でも、スポーツがどこかで行われいることが支えになる。
関係者各位は負担も多いだろうがなんとか頑張ってほしいと思っている。


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