多言語(英語)カフェなるもの
東京は広い。がゆえに、だいたいのものがある。だいたいと変換すると「大体」とも「代替」ともなるように、完ぺきではないし、代わりあるものが散逸している。代わりがある、というのはネガティブな響きを持つけれども、誰かに刺さるものがあちこちに存在していて、それが時代の変遷とともに変化していくならば、いつかそれは何かにとって代わられるということだから、個人的には悲観していない。
毎度、冒頭と文末は変なことを言いがちだ。だが安心してほしい(?)。今回は思想ではなくアクティビティの報告だか