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語学学習は、満足しないことが長続きの秘訣だと改めて知る

また脈絡のない文を書く。

2023年に入り、ぼんやりと心の片隅にあった「ヘブライ語」の学習を始めた。もともとは語学オタクに近いので、次々に手を出しては挫折している。いいのか悪いのかは知らない。

ところでヘブライ語についてだが、イスラエルの言語であり、ユダヤ人の言葉だ。またもう一つ、念のためだが、学習したのは現代ヘブライ語だ。つまり、いまこの瞬間イスラエルで話されている言葉である。

そんなヘブライ語を始めた理由は、なんとなく読んでいる本にユダヤ人が頻繁に登場し、彼らが守り続けてきたものが「知」であり「教養」であることを知って興味を持ったからだ。物よりも頭の中にあるものを大切にせざるを得なかった民族…ここらへん、詳しく話すと世界史の講義のようになってしまうので今回は省略する(が、先日投稿した1月の読書録に数冊イスラエル関連本を挙げている)。

ちなみに日本国内でその言語を学ぶには、学校、書籍、アプリの3種類がある。こういう場合、大概は書籍で勉強するのだが、手軽さという意味で語学学習アプリの「Duolingo」を選択した。というより、白水社の某シリーズを手に入れたものの、あまりにも難しかったから結果的にアプリが残った。マイナー言語ならではの悩みかもしれない(それでもDuolingoがあるというのは、素晴らしいことなのだが…)。

ヘブライ語は、ヘブライ文字(こんなやつאבא)を使うので、文字の学習から始めなければならない。過去にアラビア語は文字で挫折したのだが、分からないを放置したまま前に進み続けたら、7日くらいでひととおり読めるようになった。

7日続くことはまれだ。3日坊主のお手本と言われた私が、7日も続いた理由を考えてみた。すると、語学学習で重要な点が3つ浮かび上がってきた。

まず、文字の学習は疲れるから、だいたい15分くらいしか続かないことだ。いや、これは本当にそうで、一文字ずつこれはあれで…とやっていると、いやになってくる。いやになったらやめることにした。ただ気持ちとしてはどこか満足しない、というか…もう少しやりたい気持ちもどこかにあるので、次の隙間時間でまたDuolingo…を繰り返していた。その結果、知らず知らずのうちに楽しみになっていたのだと思う。

次に、1つ目の発展形だが「やりすぎない」ことだ。満足するまでやって自分にご褒美をあげる口実にするのはいいのだが、ご褒美を上げるほど、良くも悪くも本気ではやっていないので、気が向いたらやるに徹してみた。過去にさまざまな言語を学習したが、ほとんど挫折した理由はこれで、最初の1週間に張り切って何時間も言語と向き合い、疲労し、意味を感じなくなり、完全にやる気がゼロになっていた。そういう意味で、ただの時間つぶしなのだと思えば、案外続くものなのだと学んだ。

最後に、考えるのをやめたことだ。例えば、ヘブライ語の特徴に、基本的には母音を記さないというものがある。つまり、「こんにちは」は「knnchw」と書くようなもので、「ktp」という文字からどんな音かを正確に想像するのは難しい。だからちゃんと覚えられないのだが、まあいいか、とかなり緩い気持ちでやっている。

なんてことはなく、1つにまとめてしまえば、肩ひじ張らず合間合間を楽しむ趣味にする、という程度のことなのかもしれないが、語学を始めて数十年で改めて認識することになった。

もちろん、今でもヘブライ語は続いていて、なんと30日が経過した。ご褒美をそろそろ考える時期かもしれない。YouTubeで楽しい動画でも見るかと開いたら、下の動画がお勧めに表示された。Learning Languages Ruined My Life(言語を学ぶことが私の人生をダメにした…)。YouTube Premiumは更新しないことにした。

とはいえ、見たらいい動画だった。知るっていいことだと思う。だからこれからも、知らないでダメになっていくより、知っててダメになるほうがいいから、多分きょうも語学を勉強するのだろう。多分。

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