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私が自衛隊を辞めた5つの理由


前回は、かなりざっくりと私の24年弱の自衛官生活を振り返りましたが、今回は私が退職した5つの理由について、それぞれ綴って参ります。

①そもそもずっと辞めたかった。
②自衛隊以降のキャリアの選択肢を狭めないため、できる限り早めに新たなキャリアを積み上げたいと思った。
③50歳以降、できる限りストレスフリーに、長く働き続けるため、独立しようと思っている。
④自衛隊内に目標が見出せない。
⑤そもそも性格が自衛官に合わない気がしていた。

以下、一つずつ説明して参ります。
 

①そもそもずっとやめたかった。について

そもそもずっと辞めたいと言う気持ちはありました。
私は以前に書いた通り、そもそもマスコミ志望であり、自衛官に憧れ、自衛官になりたくてなった訳ではありません。働かなくちゃいけないから、とりあえずなった、と言うところです。その割には「陸曹」になるのが約束された「曹学」で入隊したり、レンジャーだの空挺だの、ある意味ものすごく「自衛隊らしい」場所に自ら望んで行っているので何やら矛盾するようですが、いずれにしてもどこかで辞めようと言う気持ちはずっと持っており、いよいよ潮時だ(と言うかむしろ遅すぎた)と思ったので退職いたしました。


②自衛隊以降のキャリアの選択肢を狭めないため、できる限り早めに新たなキャリアを積み上げたいと思った。について

陸上自衛隊は、階級によりますが、大半は55歳で定年を迎えます。ほとんどの方はそれから再就職します。そこを定年退職された後は、年金生活者になるか、さらに再就職されるかのいずれかだと思います。
ほとんどの方は、「勤め人」として職業人生を終えるのだと思います。すると多くの人が、「勤め人」を終えた時から「余生」が始まり、それと共に、おそらく社会との繋がりも希薄になって行くものと思われます。
そのことに特に疑問も抱かない自衛官が多いのではないでしょうか。あるいは特にそのことについて考えていないか。
一方、私の目標は、高齢になっても社会との繋がり持ち続けることです。ずっとずっと「社会人」でいることです。具体的には、リタイアせず、ずっと働くことでそれが実現できると思っています。
なぜそのように思うのか。理由としては、高齢者になった時、社会的に孤立して、やることもなく、刺激のない生活の中で、あっという間に認知症になるような人生は嫌だなあ、と思ったからです。
余り好きな人物ではないですが、政治家の麻生太郎氏などはもう82歳ですが、未だに元気です。それは、やはり「老害」などと言われることがあったとしても、誰かに必要とされ、それに応え、常に誰かと話し、たとえ80代でも「社会」との繋がりが強いからだと思います。実際政治家は認知症になりにくい職業だそうです。
認知症になりやすい職業というのはある程度傾向はわかっているらしく、ざっくり言うと「肉体労働」「単純作業」です。
逆になりにくいのは、仕事内容に複雑さがあることと、人との関わりだそうです。
定年退官した自衛官がつく職場の多くは「肉体労働」「単純作業」が多い印象です。
自衛官を定年まで勤めてしまうことで、選択肢を狭め、「肉体労働」「単純作業」しか選べない状況になるかもしれない、その前に退職して、そうならないための新たなキャリアを積み上げて行った方が良い、と考えたのです。
そうすることで、長く働き続け、高齢になっても社会との繋がり持ち続けることができると考えています。
もっと言うと、失礼を承知で申し上げますが、私には絶対になりたくない職業があるのです。それは、定年退官後の陸上自衛官の典型的な再就職先である、「警備員」です。定年退官した自衛官はかなりの率で「警備員」になります。
もちろん、職業に貴賎は無いことはわかっています。警備員も立派な職業です。しかし私はやりたくありません。
実は私は大学生時代、警備員のバイトをしていたことがありますが、あれはけっこうきついです。その上、単調です。
よくよく考えると、大学生がバイトでもできる職業に、三十何年も国防と言う崇高な任務に従事して、定年した後に就職するって…いったいその三十何年は何だったんだよ…って正直に思ってしまいます。申し訳ありません。
若干話しがそれましたが、早く新たなキャリアを積み上げていかないと、定年退官の55歳までボーッと自衛官続けてしまうと、そう言う望まない選択をせざるを得なくなる、と言う恐れから、転職を決意いたしました。
そして、自主裁量、社会貢献、頭脳労働、人との関わり、エンドユーザーとの関わりが可能で、自ら価値を生み出して行ける仕事、あるいはそう言う能力を、経験を積むことで涵養できる仕事に就こうと考えたのです。これらの要素は、長く働き続けるために重要だと考えています。しかし、自衛隊を定年まで続けてもなかなか身につけにくい要素でもあります。特に「自ら価値を生み出す」と言うのは、誰にとっても難しいとは思いますが、自衛隊しか経験のない人はより難しいと思われます。自衛隊の職務においてそのような能力はほぼ必要とされないからです。


③50歳以降、できる限りストレスフリーに、長く働き続けるため、独立しようと思っている。について

三つ目の理由は、②の理由と重なっています。 
ずっと「社会人」でいるために、長く働き続ける必要があると思っているのですが、自分にとってそれを実現させる最良の方法は、雇われない働き方、つまり「独立」だと思っています。
私は長年陸上自衛官として勤めてわかったことがあるのですが、「組織」と言うものがどうも性に合わないんです。「組織」で働くことが、私のストレスに繋がっているな、と言うのはずっと感じていました。
この際はっきりと申し上げますが、「上司」と言う人たちが好きになれない。
もちろん、私の上司にもいろんな人がいて、良い方もたくさんいらっしゃいました。感謝している方も多くいらっしゃいます。
しかし、私は「指図」されることがそもそも嫌いなのです。
しかし、自衛隊や会社と言ったところで働いていたら、上司から命令や指導や指示をされるのは当たり前です。それは受け入れなければなりません。イヤなら組織で働くな、と言うことです。もちろん、そこは従いますが、理想は「自分で判断し、自分で決める」ようになりたい。そのためには、形はどうあれ「独立」することだな、と考えるようになりました。そうすれば、よりストレスフリーに、長く働き続けることができるのではないか。もちろん、ことはそんなに単純ではなく、「独立」に伴う別のストレスもあることは承知です。ただそれは経験しなければわからない。まずは今の自分がストレスに感じる環境から抜け出すことからだと思っています。
今は独立起業を目指していますが、いずれはフリーランスとして生きていけることが理想です。もちろん、理想の通りにならないことも理解していますが、何もしなければ近づくこともできないでしょう。
また、独立すれば「定年」が無い、と言うことも重要な要素です。②の理由でも申し上げた通り、リタイアせずにずっと働き、ずっと「社会人」でいたい訳ですから、そのためにも「独立」は最良の方法と考えています。


④自衛隊内に目標が見出せない。について

四つ目の理由は、もう言葉通りですね。
今思うと、私は、自衛隊内において1年から5年くらいの短期〜中期的な目標(空挺への転属、レンジャー教育への参加、卒業、英語教育への参加、海外出張など)を設定してクリアして行くような自衛隊生活を送っていました。
そしてふと、40代の時気づくのですが、目標自体は失ってはいないのですが、それはあくまで自衛隊の外側にあるのであり、内側にはもう見出せなくなっていたのです。
正直、先輩方を見た時に、「こうなりたい」と思う人も見当たらなくなりました。
今思うと、20代の頃は、同じ20代や30代前半で、「こうなりたい」と思うような先輩はいらっしゃいました。
しかし、40代の自分が、同じ40代、50代の先輩を見てそう言うことを感じられなくなってしまっていた。いったいなぜなのでしょうか? 多分、若い頃憧れた先輩たちと、自分自身同じような道を進み、憧れた先輩に並んだと達成感を覚えたり、あるいはやっぱり同じようにはなれなかったと言う挫折感を味わったりと言った経験を経て、40代になった時、自分が自衛官としてどこまで行けるのか、行けた時、どんな景色が見えるのか、全てはわからなくてもある程度見えてしまった、と言うことだと思います。
それだったら、全く違う環境に身をおいて、今の地平では想像できない景色を見てみたい。そんな風に思いました。


⑤そもそも性格が自衛官に合わない気がしていた。

①の理由でも申し上げましたが、そもそもマスコミ志望であり、自衛官に憧れ、自衛官になりたくてなった訳ではありません。
そうでなくとも、自衛隊を続けている中で、「なんか違うな?」「なんか嫌だな」と言う違和感は拭えずにずっとありました。
私は人嫌いではありません。自衛官は入隊後他人と起居を同じにしなければなりませんが、それも特別苦ではありませんでした。
しかし、何かに取り組む時、常に人と一緒、と言うのは正直得意ではありません。むしろ一人でやりたい方かもしれません。
もちろん、自分だけで無理なことは人の手を借りようとは思いますが、自衛隊のように常にチームで取り組むことが前提なのは向いていないのです。
どうしてもイヤだったのは、「服務指導」の名の元に、特に尊敬している訳でも何でもない上司に金銭管理やら生活やら進路やらについて指導されることですね。
「服務指導」とは、「自衛隊法(52条)」の「服務の本旨」に示されている「ことに臨んでは、危険を顧みず身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」と言うことのために、日頃からの生活面も含めての指導、と言うことと言えると思います。心情把握や金銭の使い方や休日の過ごし方に至るまで、指導されます。
会社員であれば上司から、業務内容について指導されることはあっても、お金の使い方や生活面まで指導されることは当たり前ですがありません。
しかし自衛隊は、そこも指導の対象と考えるのです。これが自分には合わなかった。③の理由でも申し上げた通り、そもそも人から指図されるのが嫌いなのに、別に自分からしたら尊敬している訳でもなんでもない人から生活面やら金銭について指導されると、正直「なんであんたに指導されなきゃならないんだよ」「あなたが私に指導できるんですか?」と思っていました。
ですから逆に、自分が「服務指導」することも苦手でした。
指導内容に対して、「なんでそうしなきゃならないんですか?」と尋ねた時、明確に理由を言えない人も多いのです。現実的には上官が「ああしろこうしろ」と言ったら下級の者は従うしかなく、自分の考えと違ったり、あるいは自分では何も考えていなかったとしても、より下の者にその指導をしなければいけません。
そう言うこともいやだった。指導する側になり、自分自身が納得や理解できないことを指導しなきゃいけない状況になった時、イヤな気持ちがさらに増しました。
個別に例を挙げるとキリがないので省略しますが、実際自衛隊は「服務指導」の名の元に、本来強制できないことを強制してきています。だんだんと改善されつつありますが、まだまだと思います。二つ例を上げると、防衛省共済組合貯金の定期積立貯金への強制や、団体生命保険への強制加入などでしょうか。
イヤな奴と思われるかもしれませんが、私は自衛隊入隊時、大卒でかつ1年経過しておりましたので、こう言ったものが強制できないことは知識としてありました。しかし、直接指導する若い班長クラスの人が、そもそも指導しながらよくわかっていないな、と言うのが見えたんですよね。このことに限らず、こう言ったことはその後もありました。
また、考え方や価値観なども、私はけっこう独特な方で自衛隊の中では浮いてる方かな?と言う気がしていました。
自分で言うのもちょっと気が引けますが、私は割と進歩的かつリベラルなモノの見方、考え方をする方だと自負しております。それに対し、自衛隊はまだまだ「昭和」的な気質、体質が残っていて、そこも自衛隊が合わないと思った理由です。

まとめながら気が付きましたが、要は私の人生の目標は、「ずっとずっと『社会人』でいること」なのです。
その準備のために自衛隊を辞めた、と言うのが結論ですね。

次回は実際の転職についてお話ししたいと思います。

私がお世話になっている、元自衛官のキャリアコーチについての情報と、私が参加している元自衛官のためのオンラインコミュニティについての情報を以下に添付しておきます。

自衛隊専門キャリアコーチ

YouTubeチャンネル 自衛隊専門キャリアコーチ/古川勇気

【BLOSSOM】元自衛隊員が切磋琢磨するレベルアップコミュニティ

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