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うつ病一汁一菜記

 夕方、スーパーへ行く。入り口前に設置されたアルコールスプレーで手を消毒しながら自動ドアを通り抜け、プラスチックのカゴをぶら下げて、店内を当てもなく歩く。今日は何を食べようか。朝から考えていたけれど、結局、何も決まらないまま買い物に来てしまった。
 魚が安ければ魚が食べたい。そう思って鮮魚売り場を覗いてみると、今日の目玉はチリ産の鮭の切り身が一パック680円。ちょっと手が出ない。一本100円の鰯は悪くないけれど、捌いた後始末が少し面倒だ。結局、精肉売り場に引き返し、100グラム118円の豚の小間切れを買った。そうなると、この豚をどうするか。大根と一緒に煮ようかな、と今度は青果売り場を物色すると、葉つきのカブが売っていた。やった。私はカブそのものよりも、シャキシャキと歯ごたえがあって、ほどよく苦味のある、カブの葉っぱが大好きなのだ。隣には長ネギが一束100円で売っていた。それじゃあ、長ネギとカブの葉と豚肉のスープにしよう。確か家には卵も三つ残っている。
 できるだけ自炊をするようになって重宝しているのは、何と言ってもインスタントのスープだ。キャンベルのミネストローネ缶にキャベツを足したり、クラムチャウダー缶に白菜を足したりするだけで、野菜も摂れる立派な料理になる。今日は卵があるので、ミツカンの中華スープの素を買った。

 帰りがけに別のスーパーで豆腐を買って家に帰った。手を洗ったついでにカブの葉と長ネギを洗い、細かく刻む。あんまり大ぶりに切るのは、咀嚼にエネルギーが要るので少し苦手なのだ。そうして、去年二千円ちょっとで買ったアイリスオーヤマのスロークッカーに刻んだ長ネギとカブの葉、豚の小間切れ、粉末のスープの素と用量の水を入れ、「加熱」にダイヤルを合わせてしばらく放置する。その間に買ってきたチョコレートを食べたり、noteを書いたり。一時間もしないうちにいい匂いがしてきた。蓋を開けて見てみると、肉にもしっかり火が通っているようだ。いい塩梅なので、卵を溶いてゆっくり流し入れた。卵が固まるまで少し待ったら、淡い黄色に彩られたスープをおたまで器に注ぐ。スプーンで掬って啜ると、熱いスープがじんわりと胃に染み渡った。カブの葉の歯触りも爽やかだ。豚肉は、スロークッカーでじっくり加熱するからか、脂身が透明でふるふるとしていて、それがまた甘い。長ネギも旬だから甘い。甘さというのは優しさだ。何もかも、優しい味のするスープだった。

 つい最近Amazonレビューがバズっていた、土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』を読んだのは、今よりずっと前のことだ。

 うつ病になって会社を辞め、発達障害まであるのがわかってから、私は以前より本をよく読むようになった。自分がどう生きたらいいか、どう生活していけばいいか、いつもそのヒントを探していた。土井先生の本を手に取ったのも、そんな思いからだった。
 そして私も、レビューで引用されたあの一文に救われた。

 人間の暮らしで一番大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、いちばん純粋なことです。そして純粋であることはもっとも美しく、尊いことです。

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴

 世間では、生産性や、競争力や、能力を中心とした序列でものごとが計られている。それが正しいとされていて、ついて行けない者は落ちこぼれと呼ばれる。あるいは自己責任、努力不足。それが時代の価値観と言うもので、私もずっとその中にいて、だからこそ自分を駄目な人間だと思い、生きていてはいけないのではないかと悩んでいた。
 だけど、土井先生はそうではないのだと言う。
 能力が低かろうが高かろうが、一生懸命したということ、その純粋さが一番美しく、尊いのだと言う。

 この文章を読んだ時、私はやっと、私でも生きていてもいいのだと思えた。
 何も産み出せない、誰にも勝てない私でも、ただ一生懸命であれば美しいのだ。

 リハビリテーション医の上田敏先生は、障害の受容を、「内面化された時代の支配的な価値観、自分の中にもある障害者や弱者への偏見と差別を克服すること」と著書の中に書いている。
 現代社会の中で生きているうちに、私たちはいつの間にか生産性至上主義や能力主義という、社会の価値観を自分の中に写し込んでしまう。そうしていつしか、その価値の序列から外れた人々を脱落者と見なすようになる。
 自分が強い立場にあるうちは、それでもいいのかもしれない。
 だけれど問題は、自分が障害や病気、加齢の当事者となって、弱者の側になった時だ。そうなると人は、今度は差別されるべき側になった自分自身を受け入れられなくなってしまう。
 だからこそ、「価値観の転換」が必要となるのだ。

 障害の受容とは、あきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである。

『リハビリテーションを考える』上田敏

 上田先生はこのように言う。私にとっては、その価値観の転換をもたらしてくれたのが、土井先生の言葉だった。

 それ以来、何となく私も一汁一菜生活を続けている。汁物一品を具沢山にして、それでご飯の全てを済ませるという暮らしなのだけれど、スープの素で横着をしたりしながら、なんとかやっている。野菜でビタミンを摂り、肉や魚でタンパク質を摂ることも考えながら、基本的にはスーパーでその日安い物を買う。安い物は旬だということ、旬だということは何もしなくても食材そのものが美味しいということ、というのも、土井先生に教えてもらったことだ。

 今日の夕飯を食べ終わってからこれを書いているのだけれど、途中で買った豆腐を入れるのをすっかり忘れていたことを思い出した。明日はちゃんと使わなければ。

 さて、明日も何を食べようか。
 一生懸命考える。

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