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虚構のピラミッド

 1943年、アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求には5つの階層があり、低次の階層の欲求が満たされることによって次の段階の欲求が生まれる、という説を唱えた。

 一番下の階層にあるのは、呼吸、摂食、排泄、体温調節、性行動のような生理的な欲求。それが満たされると、次には健康や貯え、備えといった安全を求める欲求が生じる。そうして身の安全が得られると、家族や友人、共同体といった社会的な関わりや所属を求める欲求が生まれる。さらにその上の段階には、尊敬されたい、他者の評価を受けたいという承認の欲求があり、ピラミッドの一番上には「自己実現」の欲求がある、とされている。

 一見するともっともな説にも見えるので、マーケティングやビジネス関連の記事なんかでさも正しいもののように紹介されているのだけれど、実は批判も多い。近年では進化心理学者のダグラス・ケンリックが、人間の行動は生存とパートナーを見つけて子どもを残すことに突き動かされているのだとして、新しい欲求のピラミッドを提唱したりもしている。

 2019年の放送大学講義のなかで、社会学者の西澤晃彦教授も、この説を強く批判していた。

 人は食べるのに困っていても、自分の身なりを気にしたりするものだ。着るものや住まいのない貧しい人であっても、社会的存在であること、自己実現を望むことに変わりはない。

 生理的な欲求、欠乏が満たされた後にようやく承認や自己実現を望むようになるという仮説は、自己実現を持てる者の特権とし、人をヒエラルキーに当てはめてしまう思想に他ならない、と西澤先生は言うのだった。

 そういえば、ホームレス支援をしている人の話で、自立支援施設から出た人は、その途端に借金をして高額な車を買って見せに来たりする、というのをどこかで読んだことがある。これもまた、マズローの説では説明のつかない話だろう。
 彼は車を見せびらかすことで、何を取り戻したかったのか。

 ところで、自己実現と言えば、私の中では長い間、働くと言うことと不可分に結びついていた。

 仕事を通して能力を発揮して、少しでも世の中を良くしたい。人の役に立ちたいという思いがあった。

 病気になる前まで勤めていた会社に入ったのもそれがあったからだ。今、ネットで検索してみると、当時の仲間は順当に新しい仕事に取り組み続けていて、それぞれに成功しているらしかった。理想的な会社で働き、社会に前向きな影響を与える。何よりやりがいのあることだろう。
 私もできるならその場にいたかったけれど、病気になってドロップアウトしてしまった。彼らがやろうとしていること、求めていることに、私のレベルは釣り合わなかったのだ。

 それははっきりと、私の知的能力の限界だった。心が折れるまで努力しても、どうにもならないことがあるという現実だった。

 受け入れるしかなかった。私はともかく、頭が悪い。病気になってからわずかばかりの貯金も人との繋がりも失って、健康さえも不安定になった。人には、マズローのピラミッドの底辺でうめいているようにしか見えないのかもしれない。

 それでもまだ、私の中では、自己実現への欲求が燻っている。

 私は、なりたい私になりたい。

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