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なにか、わたしにできることは?

 去年の夏、一冊の絵本を読んだ。東急沿線のフリーペーパー『SALUS』2021年9月号の特集で、翻訳家でビブリオセラピストの寺田真理子氏が推薦していたものだ。

 人でにぎわう街の並木通りの一角。
 そこに建つ、エレベーターのないアパートの4階に、おじさんは住んでいる。
 毎日、朝食をとりながら、おじさんは新聞を読む。
 一字一句、たんねんに。
 ちっとも心を動かされない記事もあれば、思わずにっこりしてしまう記事もある。
 全身がふるえあがるような記事も、たくさんある。
 おじさんは不安でたまらない。

 絵本は、こんな書き出しからはじまる。タイトルは、『なにか、わたしにできることは?』文はホセ・カンパナーリ、絵はヘスース・シスネロス、翻訳は寺田真理子。

 主人公の「おじさん」は真面目な人で、毎日きちんと新聞を読み、世の中で起こっている事を知ろうとしている。だけれど、世界では彼が受け止めきれないようなおそろしいこと、大変なことがたくさん起こっており、それに毎日触れているうちに、「おじさん」は不安で何も手につかなくなってしまう。

(なにか、わたしにできることは?)

 そのうち「おじさん」は、一日中、悶々とそう考えるようになった。他のことは何も頭に入ってこないし、夜も眠れない。
 同じ言葉だけが、ぐるぐると頭を巡る。

 しかしある朝、前の晩も考えすぎて疲れ果てて眠ったおじさんが、目覚めて口を開くと、頭の中でぐるぐると回っていたあの言葉が、突然大きな声になって外に飛び出した。

「なにか、わたしにできることは?」

 すると、その声を聞きつけた近所の人々が、ここぞとばかりに「あれを手伝って!」「これを手伝って!」と頼んできた。「おじさん」が彼らを手伝うと、みんな「ありがとう!」と言ってくれる。そうして忙しく過ごしているうちに、彼の重たかった気持ちはすっかり晴れていたのだった。

 私たちに世界を変えることは難しい。
 けれど、もっと近くに目を向ければ、決して何もできないわけではない。

 この話は、そんなことを教えてくれているように思う。

 「おじさん」が読んでいる新聞と同じように、最近の世界情勢はもう、ずっとひどい状態だ。ニュースを見る度に気持ちが塞ぎ、無力感に苛まれることが、まだしばらく続くだろう。だけど、だからこそ、「今、自分にできること」に向き合うことも大切なんじゃないだろうか。

 たとえば少しだけでいいから、寂しそうな誰かに連絡してみるとか、困っていそうな人に声をかけてみるとか。私が今、この絵本のことをnoteに書こうと思ったのも同じ理由だ。世界は大変なのに、私はいつも通り過ごしていていいんだろうか?そんな考えで頭がいっぱいになる中で、せめてこの本のことを誰かに紹介しようと思ったのだ。

 去年の8月、アフガニスタンのニュースを見て落ち込んでいた私は、この絵本を読んで少しだけ楽になった。だから、同じように誰かを楽にすることができるかもしれない。今、それくらいが私にできることだ。

 この記事を投稿した後は、私はご飯を食べて、ほんの少しニュースを見て、あとはNetflixで『39歳』でも見て寝ようと思う。

 ニュースを見るのは大事だ。ほんの少し目を離しただけで目まぐるしく状況が変わっていく今、ついTwitterのタイムラインを更新し続けてしまうのを、私もなかなかやめられない。だけれど、それでは世界は変わらないし、自分の周りの困っている人たちにも気づけない。

「なにかわたしにできることは?」

 それはとても大切な問いだ。だけれど、自分を追いつめない程度に。あまりにも大きなものと格闘しようとすると、人は大抵、答えの見えない問いに押し潰されてしまう。

 それよりも、誰かに語りかけてみよう。多分、答えは返ってくるから。

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