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『平成という時代に生まれて』 愛すべきありのままの自分

もし飢餓の多い国に生まれていたなら
人生のテーマは【生きる】事そのもの
だったのかもしれない。

戦争を経験する時代に生まれていたなら
人生のテーマは【正義】とか【平和】とか
だったのかもしれない。

平成という時代に生まれた自分にとって
人生のテーマは【個性】
なのかもしれない。

平成は個性の無い時代
だったように感じる。

街には同じ店、同じ商品が多く並び
皆 同じような服を着て
同じような物を見て
同じような事を考える。
同じような物を欲しがって
同じような事をする。

学校教育では
皆 同じような事を学び、
皆 同じような事を勉強する。


そんな個性が発揮しにくい時代の中で
生まれたという事は
いかに個性を発揮するか
という事が人生のテーマなように感じる。


個性を発揮する。
という事を勘違いした自分は
個性と書いた【仮面】をつけるようになった。

それは小さい頃からだ。
小さい頃から【良い子】という
仮面をつけて良い子を演じてきた。

褒められたかったから。
怒られたくなかったから。


自分を信じる事が出来なかったから。
自分には価値がないと思ってしまったから。

周りの目ばっかり
氣にする自分。


大人になるにつれて
色々な種類の仮面を
使い分けられるようになっていた。

【良い人】の仮面

【お調子者】の仮面

【謙虚】の仮面

【社会人】の仮面

【初対面の時につける】仮面

【親の前でつける】仮面

【友達の前でつける】仮面

なかでも自分にとって
【爆裂元氣】な仮面は最高傑作だった。

爆裂元氣な自分が大好きだった。

しかし
結局は仮面をつけた自分だ。

自分の理想と努力の結晶であり、
偽りの自分だ。

仮面をつけた自分を
好きなだけだ。

昔から何も変わってない。

生身の
正真正銘の
ありのままの自分ではない。

そもそも個性とは
生まれた時から備わっている
【ありのままの自分】の事であり
練習して身に付けたり、
努力して手に入れるものではない。


仮面を外した自分こそ
超個性的な自分なはずだが、
小さな頃から仮面生活を続けてきた
仮面大好き症候群の自分にとって

仮面を外す事は何よりも怖いし、
まず仮面の外し方が全く分からない。

おそらく
【ほんとうの自分】
【ありのままの自分】
というのも仮面を
外した先にあると思っている。


仮面をつけずに生きるという事が、
どれだけ素晴らしい事なのだろう。

仮面を外した事がない
自分には想像する事しか出来ない。


考えて辿り着いた
一つの結論として、

【自分の中の許せない自分】
【自分の中の嫌いな自分】


それが
【ありのままの自分】
なのかもしれない。


自分を許せない。自分が嫌い。
そういう所を無理矢理変えようと、
強制しようとした結果、
仮面に行き着いてしまったのかもしれない。

自分を許せない。自分が嫌い。
けど好きになりたい。
仮面をつけて
許せる。好き。な自分になろう。
それが始まりだった。


許せない自分を
どうしても許したかった。


嫌いな自分を
見たく無かった。

自分を愛する為に、
自分を愛したかったから、
仮面をつけたんだ。


つまり
ありのままの自分とは
大嫌いな自分そのもの
なのかもしれない。


今なら自分に言えるかもしれない。

もう仮面を外してもいいんだよ。

どんな君だって大好きだ。

仮面があったって
仮面なんか無くったって
関係ない。
どんな君だって愛してる。

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