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パパ、りっぱ ってなあに? A

ねえ パパ なんで」は
Q&Aで構成されています。
"パパ、りっぱ ってなあに? Q"は→コチラ


立派って、なんなんでしょうね。

本文 Q の方でもパパが言い淀んでましたが、文字数が嵩んでもどうしても抜けない一文になりました。

語源としては複数あるようですが、仏教からの出展のようで。

「僧が立身して自分の派を立てることから」や「立破文明」からとされているそうです。立破やったら立破でええやん、てならへんの?

で、その"立破"っていうのは、自分の義を立証でき、相手の非説を論破できることなんだとか。最近のお若い世代の皆様的にはこっちの方が入って来易いのかもと思いました。好きなんでしょ? 論破。

でもお坊さんの論破っていうのは、相手を立てながらも、それは間違ってますよとか、道から外れた意見じゃありませんか? みたいに、いなす系のイメージがあります。もちろん僕のお坊さんのイメージはアニメの一休さん一択ですけどなにか?

そんなシーンありましたかいな? とお思いでしょう。例えるならイメージ的お坊さんや僧侶という思念の集合体と考えて下さい。みたいな無理難題を将軍様や桔梗屋さんに吹っ掛けられては一休宗純こと一休さんがとんちで解決するアニメです(意訳)。

ただ、吹っ掛けた本人たちも、言い掛かりや屁理屈であることを認識しているので、うまく言い負かされたときに、悔しいながらも引き下がっているのが、偉いなと思ったんです。そう、立派だなと。

でも現代の論破文化って、正論や致し方無しな状況に言い掛かりや屁理屈をぶっかけて燃やしてるだけみたいな感じじゃないです? いなしでもなければイナセでもないでゆうて。

で、「あ…もう、水掛け論なんで…」とオトナな方が引き下がったが最後、鬼の首を獲ったかのように「はい、論破〜」としたり顔。いや、君の論破は論理の破綻。それはとんちではなくチートでは?

そうなるとトンチンカンな方が強いですよね。思考を頓挫させて無理問答を仕掛ける。若人が大好きな都知事候補だった方も、こういう感じにお見受けしました。都ン知ン事ンです。珍事です。チーン(仏系だけに)。

そういうところが古いねん、と言われたらもう最後、や、昭和に生まれて半世紀ですからね、古いでしょう。でもそれって貴方の感想ですよね!?

知性を見せる事が立派に見えるハロー効果自体が目的なのでは? と思えるほど、論理とは懸け離れてロンリーになってまっせと古さで勝負。

知があっても品がなければ恥になる。華があっても、マナーに劣れば穴が空く。人の上に立つには周りの助けも必要で、そのためには人を助くる精神が必須。

立派はやっぱり、派を立てる方であって欲しいかなと思いました。派に分かれ、離れても、共存できる律がある。

支え、支え合える人にこそ、その言葉が似合う。パリッとしてるだけでは、あきまへんねやで、ねえ?





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