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産む覚悟がなかった作品たち

一つの作品に向き合う時、数秒で魔法のように完成することはありません。幾日も時には数年も、同じ対象と見つめ合うことがあります。
目の前の作品とコミュニケーションを通して解り合うように努めても、お互い敬遠しあう仲になることがあるのです。

そのような長丁場の闘いに移りゆくとき、私はどのように解決して前進することになるのか、今一度考えたことがありました。

作品から放たれた、無意識のうちに身体に浸透してゆく「言語」たちに罪はなく、対する私自身の感情の器や許容のスケールによって、その作品たちは産まれることがなく保留とされてしまいます。

簡単なようで、決して簡単ではない「対者から一端離れること」は、費やしてきた時間を一定期間、もしくは永遠に保留にするという事になるのです。同時に対者への感情もリセットされます。


闘う場は必ず移り変わる

培った経験を辞める、そして別の作品へ心を推移させるという行為は、何回経験しても嬉しい事ではありません。期間を問わず、互いに興味や愛情が存在していた訳ですから。

感情があったからこそ、保留扱いの作品や言葉が溜まりだし、私自身に苦い思い出だけが折り重なるのかと思うと少し不安になるくらい。
それらは表舞台に立たずして、消えてしまう言葉たち。


ですが、これで良いんだと思うのです。
産む覚悟が無かったとしか、言い訳ができないけど、それで良いんだと思うのです。

悲観せずに、この事実からあらためてスタートする行為が大切だと言い聞かせています。

一秒一秒の経験が成長へと繋がり、どんな相手であっても怯まない姿勢。そんな子供たちの純粋な呼吸に囲まれているからこそ、この結論に至ることができました。

産まれなかった作品も、産まれてきた作品も全て自分のものにしたいから、という贅沢な生き方をこれからも自分流に仕上げて行きます。

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