「え」を描くように生きること。

オレゴン州ポートランド市の美術大学を経て帰国後、はじめて仕事についた円山のギャラリーで、手探りながらも積み上げてきたディレクション業務。今現在も構築しながら多面に渡り吸収していると想う。企画・プロデュース、実際の制作と運営管理、地味で孤独な一人作業が多い。
仕事としてエンドユーザーやクライアントに喜んでいただけるのは、その実績を自身の経歴書にニヤニヤ書き込むことなんかより、はるかに嬉しい事実である。そしてそれが生活の糧になっていることが20年前の自分を想うと奇跡のようなことに感じる。


そもそも。

メーターサイズの大型抽象油絵やコラージュを得意としていた20代。作品もアメリカやフランスなどのコレクターに買っていただき、手元には油絵は一つも残っていない。数十の細かい作品は、引越しの際に全て破棄した。

過去は要らない、と強い想いを持ち始めたのが10年ほど前。絵を描くことに自身を見い出していたと錯覚していた30代。


40代になった今の創作意欲。

スタジオで没頭していた、あの泥まみれの生活が恋しくなることが最近ある。今でも色んなスタイルやカタチに変化しても精一杯対応している自身を省みた時、色んな意味でまだまだ勘違いを続けているのだと想う。
そして、それでも良いと考えられるようになった。道筋は一つではなく、遠回りをしてでも、東と西を結ぶような生き方(描き方)があると思える。

制作物のクオリティは当然、立ち振る舞いやサービス対応など、絵を描くように没頭することが多々ある今現在のスタイルが、自分なりにしっくりきているかな。
特に家族と過ごせる時間が多いのは、ますます意欲を湧かせてくれる。


自分業をなぞる生き方はやめて、明日も自身のための呼吸をしよう。
「え」を描くように生きること、を考えてみた。

次回は「お」から。

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