60日目 ごにょごにょ日記「クローズドコミュニケーション」

目が覚めると、好きな人がいて手を握ってくれる。じんわりとした幸せ。

我が家の場合は手を握るという行為は愛情表現というより検温で、起床時はまだ眠いかどうか、就寝時は眠くなってきているかどうかを体の状態からチェックされているのですが(なので一瞬で離される)。

まあ、そうは言ってもそれもまたひとつの幸せです。

人は目の前の幸せに浸っていればいいものを、すぐに情報に浸りたくなってしまう。比べようもないはずの誰かと比べてあれこれ思ってみたりして。

あるSNSの機能を使ってクローズドコミュニティをはじめる予定です、という知らない誰かの告知をたまたま見かけた。クローズドコミュニティってそんなに流行ってるの?囲いこむことで秘密が保持出来たり、濃い交流が出来て付加価値が高められたりするの?、と情報に飛びつくだけは飛びついてみたりする。

ニッチな業種で仕事をしていると、業界全体の需要が少ないせいか同業他社からSNSのフォローリストを通じて顧客漁りのようなアタックを受けたことがある。過去の自分の仕事において信頼関係を構築出来ていればそれで実際にお客さんが流れてしまうということはそうそうなくて、たいした被害もなかったのだけど、やはりそういう目で見張られたり近づいてこられたりすることがある、という経験そのものが薄気味悪かった。

という経験をもとに、クローズドコミュニティっていいの?なんてことに一瞬目が奪われたのだけど、すぐに目が覚める。

一番のクローズドはリアルだ。

会って、話して、この方はこれを好まれるんじゃないかな、と想像しながら切手や葉書を選んで、言葉を添えて送る。

そうして積み上げてきた人間関係なのに、ネット上にリスト化されて表示された途端、単なる物の数みたいに認識して汚い手を伸ばしてくる人がいて、盗る盗られるとかの問題ではなく、大切にしてきたものを粗末に扱われること自体が不快だったのだ。

囲いこんで、あなた達は特別ですよ、とネット上で付加価値を付けて見せることに意味はない。

もともと全員特別なのだ、私にとっては。

だからこれからも検温するように文(ふみ)を書く。やりとりに、自分自身が支えられていることも多いのです。

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