2023/8/10 悪夢を見てから同行二人のラーメン
夢の話から始めたい。
ウーバーで配達をしていたところ、スマホを落下させてしまった。さらにはバイクに乗っているときに被るヘルメットも道中に落としてしまい、スマホもヘルメットもぐちゃぐちゃに壊してしまう、という夢を見た。
スマホが壊れれば配達ができなくなる。お店の場所もわからないし、お客様の場所もわからない。当然、配達完了の操作もできない。
さらにはウーバーのドライバーサポートとも連絡が取れなくなるため、八方ふさがりになってしまう。恐ろしい。
そして、ヘルメットが使い物にならなくなるということはバイクに乗ることができなくなる。壊れたからと言って、帰宅まではノーヘルメットで走れば違反で点も取られて罰金も取られる。家までバイクを押して帰らなくてはいけない。恐ろしい。
ウーバーを始めてから、ウーバー中にこれが起こったら嫌だなあというのをちょくちょく夢に見るようになった。こういう仕事などの失敗が許されないもので失敗する夢のパターンが年を取るにつれて増えて行っている。
野球・ソフトボールを始めた小学生のころから見始めて、今もたまに見る夢は試合の行われるグラウンドへの行き方がわからない、到着しても忘れ物をしていてどうしようもない、という夢だ。これはきつい。皆さんご存じの通り、野球界は尋常じゃなく厳しい。忘れ物や遅刻なんて、人間だれしも1度や2度は経験することだ。しかし、野球界ではそれは絶対にあってはいけないこととされており、1度の忘れ物、遅刻で1週間の草むしりや1週間練習はランニングだけになる、なんてことがある。
大人になって思うのは、忘れ物は良くないことだがそこまで罰する必要はないのではないかということだ。
そんな厳しいところで過ごしてきた私は、忘れ物も遅刻もしない大人になった。その代わり、日々ストレスでつぶされそうになりながら生きている。
お笑いを始めてから見るようになった夢は、ネタが完成していない、練習もできていない状況で、すでに我々のための出囃子が会場で鳴っているという夢だ。これは怖い。
この夢の続きはだいたい2パターンに分かれている。ひとつは仕方なく舞台に上がるがやはり何の話題も口から出てこず、そのままゴニョゴニョ喋って舞台を後にする場合。もう1つのパターンは自分で何をしゃべっているか記憶に無いのだが会場は大爆笑でなんとか乗り切る、この2パターンである。
後者であれば、夢の中とはいえ自分はこんなにアドリブが強かったのかと、嬉しい気持ちで、興奮状態で目が覚める。前者の場合は夢で良かった、心臓が高鳴りながらも安心して目が覚める。
これの分析としては、私はどのライブであろうと、ネタを一度見直して、直すところがないかと確認作業をしていることが原因であろう。
ライブごとにネタを直す、ネタを作る、これをやっており、もし自分のスケジュール帳に漏れがあって急遽ネタをやらなければいけないとなってしまうことが常に怖いからであろう。
今のところ、野球、お笑い、ウーバーこの三つにまつわる悪夢が私を苦しめている。最近は歯が抜ける夢は見なくなった。ああ怖い。
これから年を重ねていけば悪夢のパターンが増えていくのだろうな。
もしメディアで活躍するようになれば、大物司会者に挨拶を忘れた状態でオールスター感謝祭の本番が始まる夢を見たり、ラジオ番組で向かいに座っている名古屋の大物パーソナリティーに机の下でめちゃくちゃ蹴られるという夢を見てしまったりするのだろう。これは非常に怖い。いや、こわ~ちである。
もし何らかの力によって何らかの議員になった場合、漢字が読めないことを馬鹿にされたり、研修先で撮った写真をテンションが上がった勢いでSNSにあげてしまい、観光旅行ではないかと追及されたりする夢を見るだろう。
悪夢のパターンが増えないことを祈って生きていきたい。
さて、ようやく日記である。
今日は9時ころに起きた。今日はしっかりと意味のある休日を過ごそうと思った。明日からは世間はお盆休みであるから、ウーバーの注文は明日以降増えていくことが想像できる。今日は休んで明日からウーバーを頑張ろうと思う。
何をしようかと考えながらも、まずは日記を書く。長文になってしまったが、皆さんがやけに読んでくだすっているようだ。
これはとても不思議なことなのだが、書いていて熱がこもっていると自分でも感じながら書いていると、読まれる数が増える。逆に今日は特に思いつかないなと半ばテキトーに書くと読まれる数は減る。
別にタイトルにそういったことを書いているわけでもないのに、このような事態が発生する。これは本当に不思議である。
今日やることを決めた。あの思い出のラーメンを食べようということにした。あの思い出のラーメンとは何か、この説明がちょいと面倒だが頑張って書く。
私は広島市出身である。広島市の中でも広島市中心部に通勤する人のためのベッドタウン的なところ、五日市という町の出身である。
五日市は国道二号線(大阪から福岡をつなぐ巨大な国道)に沿った町でそこそこに栄えている。太い道といえば、ロードサイドの巨大な飲食店や衣料品店などが並んでいる。我が実家の近くで、大きな駐車場を有するチェーンのラーメン屋がある。
このラーメン屋は私が大学で沖縄に住んでいたころにできたようで、子供のころには食べていなかったが、卒業後に一時帰省した時に食べた。
ラーメンもうまいのだが、卓上に置かれた無料の野沢菜の漬物がおいしかったのだ。なんだこれは。こんなうまい漬物が無料で食えるのか。すげえ。
広島に住んでいる間に何度か行きたかったのだが、当時バイトもあまりしないで、その少ないお金を東京に行くために貯めていたのでラーメンを食べるお金は無かった。
実家であれば無料でご飯が出るのだから無理して食べにいく必要もない。あの感動を広島に残したまま上京していた。
今日はあのラーメンと野沢菜の漬物を6,7年ぶりに食べたい。そう決めた。
グーグルマップで実家周辺を表示して、「ラーメン屋」と検索したところ、あのラーメン屋が「丸源ラーメン」というチェーンであることが分かった。
おお~これだこれだ。これが思い出のラーメン屋だ。
この丸源ラーメンは東京にお住まいの方からするとどうであろうか。よく知っているチェーンだろうか。私は東京に来てから、この存在を忘れていたのだからそんなに数は無いものだろうと推察できる。
都内にはどれくらいあるのかしらと検索すると、やはり数は少ないようだ。都内では練馬の都心から離れたところに3件ほどあり、足立区西新井に1件ある。我が家は鶯谷のあたりであるから、西新井店が最寄りである。ここに行くことにした。
時刻はすでに13時を過ぎていた。家で食事をしたい気持ちを押さえて、日比谷線に乗り込み、西新井駅で乗換えて大師前に降りた。
大師前駅から、10分くらい歩くと見えてきた。丸源ラーメン。巨大な看板が目に入った。
14時になってもそれなりに人は入っているようだ。それはそうだ。私の記憶の中ではかなりおいしいラーメン屋さんなのだから、これくらい流行ってもらわないと困る。
店内に入ると、とても広々とした空間。たくさんのお客さんがいたが、席に空きがある。席に着くとすぐに店員さんがやってきて、冷たい緑茶をピッチャーごと席に置いて去っていく。
最高である。冷たい緑茶も飲み放題なのか。
さっそくタッチパネルで注文をする。丸源ラーメンの王道であろうセットを注文した。肉そばとチャーハン、餃子3個のセットでだいたい1000円くらいだった。
ほどなくしてチャーハンが到着する。鉄板にのせられたチャーハンがテーブルに置かれ、店員さんが目の前で鉄板に生卵をかける。するとジュワーという音とともにその場で卵が固まっていく。うまそうである。
肉そばも到着する。肉そばといっても、そばは中華そばで普通にラーメンである。餃子も到着し、いよいよ食べていく。
チャーハンも餃子も美味いのだが、肉そばがとても美味い。おそらく様々なダシが混ざっている。何ラーメンかと言われれば醤油でも味噌でも豚骨でもなく丸源ラーメンだ。
動物性のダシが複雑に混ざっているのだが、その中に恐らく玉ねぎであろうか、野菜の甘みがしっかりと生きている。油も多めだが、これが野菜の甘みとうまくマッチして、無限に飲みたくなるスープだ。
卓上調味料の、どろっとした特性ラー油、ガーリックチップ、これらをラーメンに加えてもなお美味しくなる。たしかにこのラーメンは美味い。
思い出のまま、そこに存在していた。
続いて、件の野沢菜の漬物だ。以前は卓上に置かれていたのだが、コロナ対策だろうか、原料費高騰の影響だろうか、無料であるということは変わらないのだが、店員さんに注文すれば持ってきてもらえるシステムに変わっていた。
これもまた美味かった。正式名称は野沢菜醤(のざわなじゃん)というらしい。少し辛味のある、キムチに近い感じだ。やはりこれが無料なのはおかしい。
冷えた緑茶でのどを潤して、店を後にした。これはいいチェーン店だ。また来よう。必ず来ようと思う。
そこからはまだ日も出ているので、散歩も兼ねて西新井大師に行った。
お大師様のおかげでおいしいラーメンが食べられたのだろうと私は思う。
私は、四国遍路で88か所を歩いた経験がある。そののちに地元で丸源ラーメンを初めて食べた。そして今日はお大師様の見つめる町で丸源ラーメンをいただいた。今日まで、そしてこれからもお大師様、空海様のおかげで美味しいラーメンが食べられるのだ。
私はこれからもラーメンを食べに行くときは、お大師様と二人連れ、同行二人の気持ちで感謝するつもりだ。
なむだいしへんじょうこんごう。なむだいしへんじょうこんごう。なむだいしへんじょうこんごう。
その後は、延々とウォーキングをして、20時頃に帰宅して風呂に入って眠った。いい休日を過ごせた。
今日面白いと思ったことは「いろいろな宗教を信じれば、なんでも感謝できるようになれそうだ」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。