2023/9/17 今日も楽しくおセンチに

今日は12時過ぎに起きた。
起きてすぐに支度をしてウーバーをやった。13時前には家を出発した。
まずは、浅草のお店が三件まとめての配達だった。今週のノルマはあと6件だったので、これをこなすだけで半分を終えることができる。
なかなか幸先いいんじゃあないかと思った。

行ってみて分かった。今日は浅草サンバカーニバルだったのだ。これを避けるために、ドライバーが蹴りまくった結果なのだろうなと推測できた。
以前も書いたが、私はお祭りが苦手である。お祭りになると、街を出歩いている人たちの目がらんらんとしている感じが苦手である。
お笑いでは「かかっている」と言うことがあるが、それだ。普段そんなことしないだろうというような行為をしてしまう状態のことだ。浅草は毎日がお祭りみたいなもんなので、そんなに気にかからない。これが、この後に効いてくるんだな。伏線というやつだ。

なんとかサンバをかき分けて料理を受け取り運んだ。この3件をやると、その後は少し間が空いた。そこからポンポンと配達し、6件を達成した。
ちょうど自宅のすぐ近く、ものの数メートルくらいのところで終えることができた。ささっと帰宅した。

さて、これにて今日のお金儲けは終わった。続いて、巣鴨の大きい西友にズボンを買いに行くことにした。
私はとにかく安いズボンをはいている。しまむらも尻尾をまいて逃げるくらい安い。数年前に西友で一本1300円くらいのチノパンとジーンズをたくさん買った。それをずっと履いていた。それが一本、また一本と股が擦れて穴が開いていった。最後の一本をここのところ履いていたのだが、昨日とうとう穴が開いていた。
これはいかん。もう履けるズボンがない。あらためて巣鴨の西友にてたくさんズボンを買いだめようと思ったのだ。

ここでも価格高騰の波が押し寄せていた。数年前、税込みで1500円もしなかったが、今日確認すると2500円+税込になっていた。
ああ、私のお給料は上がらず、モノの値段は上がっている。残念。この値段であれば、近所のしまむらでテキトーなズボンを買ったほうがいい。

一応、一本だけ買っておいた。もしかすると、すごくいい製品になったことで値上げしたのかもしれない。
この値上げ問題だが、よくよく理由を考えてみると一つの答えが出た。西友は以前は、アメリカの超巨大小売りチェーンであるウォルマート系列であったが、その系列から抜けたというのが1,2年前にニュースになっていた。そのタイミングで恐らくウォルマートの超巨大工場で作られ、安かったズボンは店頭から消えたのだ。これが真実である。私は真実を見抜く知識と能力がある。
この世界は超巨大組織によって牛耳られている。これを読んでいる真実を見つめる瞳を持った人にだけ教えてあげた。

ズボンを購入して店を出る。外ではドンガドンガと太鼓の音がしていた。やれやれ、ここでもお祭りがおこなわれているのか少し気落ちしたが、これを機会に一度真正面からお祭りを見てやろうと近づいた。
お尻丸出しのふんどし姿の男性がたくさんいた。まさに ますらお といったたたずまいである。お尻がプリッとしていた。それを見て私も少しお尻を振ってみた。何も起こらなかった。

太鼓の音がする方に行くと、妙齢の女性5,6名が太鼓を全力で叩き、聴衆が手拍子で応援していた。なんだかおもしろかった。これくらいの年齢の女性はだいたい物静かにしているイメージがある。その女性たちが一心不乱に太鼓を叩いているのはなんだか笑えてしまった。全力であることのおかしみである。
それらを見て、地蔵通りを歩いた。モノマネタレントのコロッケさんがやっているコロッケ屋ができていた。あのテリー伊藤さんの看板でおなじみのから揚げの天才の店頭に会った、プラスチックでできたテリー伊藤さんの人形のコロッケさんバージョンが置いてあった。変な顔をしていた。面白かった。その隣で私も変顔をしてみたが、何も起こらなかった。

コロッケさんのコロッケ屋・・・。これって昔からあったような・・・。と記憶をたどると、その主はグッチ祐三さんだった。
グッチさんは以前、自身の出演する番組で「僕のおすすめコロッケ屋があるんですよ!」と紹介したが、それは実は自身が経営するコロッケ屋さんで、いわゆる「ステマ」騒動になった。その記憶と今日出会ったコロッケさんのコロッケ屋が重なってしまったのだ。
グッチさんもビジーフォーでモノマネをやっていた。どおりで記憶の引き出しの同じところに入っているのだ。

あのビジーフォーさんがやっていたと記憶している、手と足が棒でつながって、真ん中の人と連動して動く人形。あれはもう誰もやっていないのだろうか。あれがめちゃくちゃ面白くて好きだ。
たったいまYoutubeで検索すると、どこかの老人ホームの余興でこれをやっている映像があった。深夜に一人で大笑いしてしまった。

お年寄りが楽しんでいるのはなんだかおもしろくて良い。これはやはり、お年寄りと言うのは静かにたたずんでいるというイメージがあるから、それがフリになって楽しんでいるのがなんだかおもしろいのだろう。

それで言えば、今日アップロードされた、はやぶさ丸の笠生大収穫祭氏のラジオでお年寄り新人への猛烈なバッシングも誤りかもしれない。
高円寺Kというまだ漫才協会のサイトに掲載されていないコンビのカトーさん(齢70いくつの大型新人)が、頭のねじを外して舞台上で奇声をあげれば、おそらく私は大爆笑してしまうだろう。人には人の乳酸菌という言葉があるならば、老人には老人のお笑いが存在するはずだ。はあ?

この世は年寄りであふれている。本当にお年寄りが若い人を応援しているならば、政治家も本来は若い議員であふれているはずなのにニュースを見れば、年寄りばかりが政治をやっている(お!社会を切ったねえ)。お年寄りは基本的にお年寄りを応援していると言っていいだろう。
お笑いもそのうちお年寄り若手が天下を取るかもしれない。

さてと、なんやかんやで巣鴨を少し散策した。続いて上野に行き、以前紹介した「夢吉」という居酒屋に行った。ここの特性ラー油がとても美味い。久しぶりに食べたい気分だった。

その後帰宅してVIVANTの最終回を見た。批判を恐れず言えば、とっちらかった最終回だと思った。何も解決しないまま最終回を終えてしまった。あきらかに続編が作られるであろうエンディングだったが、この一つのシーズンを見ての満足、納得は無かった。ちょっと残念である。
物語の性質は違うが、福山雅治さんが主演だったガリレオシリーズなんかも一つの話、シーズンを見れば一つのゴールがあるだろう。続編ありきでエンディングを迎えるのは、ふろしきを広げすぎて収集がつかなくなってしまった印象が残ってしまう。

これは、漫才を作っている私自身への自戒も込めて厳しい言葉で書いている。漫才を書いていても「あれも、これも言いたい」と台本を作っていくと、話にまとまりがなくなって無理やりオチをつけて、何も解決しないで終わってしまうことがある。
と、こんなことを私が言ったところで、ただのルサンチマン的心情の発露であろうの一言で片づけられてしまう。
言葉の価値はどれだけ芸術的で婉曲的で綺麗かは問題ではない。その話している人がどれだけの人に認められているか、お金をどれだけもっているかで決まるのだ。
なんて おセンチな日記であろうか。

さてと、もう月曜日だ。金曜日にはネタ見せと新ネタ発表ライブだ。殺しにかかっているとしか思えない殺人スケジュールだ。
よ~し、しんじゃうぞ~!きえええええええ

今日面白いと思ったことは「お祭りも面白い部分があることは認める」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。