2023/2/5 ライブでダメ出し、ポンタポイントがたまる。

今日は夜から高円寺の「高円寺スラバーノッカー」というライブがあった。それに向けた1日だった。
朝起きたのは9:30ころ。夜のライブに向けてネタに改善できるところはないかとチェックする。13時過ぎには終わらせて、少しだけウーバーをやる。ウーバーにはクエストと言われる配達回数に応じたボーナスがある。これが、あと5回で1500円がもらえるという状況だったので、それだけやっておいた。ウーバー完了後にジムでシャワーを浴びて帰る。16:30に高円寺へ出発。ライブ後に主催兼作家の方にネタアドバイスをもらい、帰宅。23:00。
録画していたウォーキングのひむ太郎と孤独のグルメの再放送を見てから寝る。

ネタの見直しについて。これが果てしない。クリスタルキングの気持ちがわかる。ネタのブラッシュアップはどの芸人もやっている。多くの場合、コンビで、舞台や練習でネタをやり、話し合いの中で磨いていく。
我々の場合、私がネタを作る→舞台前に練習&話し合い→舞台でかける→家で私が直す→舞台前に練習&話し合い これを繰り返す。

我々のネタは基本、ひと月かけたらもうやらない。このやり方は効率が悪いと他の芸人さんからは言われるが、結局5年近くこのルーティンでやっている。それが良いことなのか悪いことなのかは正直わからない。
賞レースなどではネタの完成度はやはり重要な要素だ。寸分の隙も無いネタは多少ボケが弱くてもその完成度で圧倒することができる。寸分の隙も無いのにボケが弱いとはこれいかに。つまりはテンポの良さだったり、噛まないといった追加得点要素(減点要素がない?)が身についた状態になるという考えだ。

その点、我々はかけては捨てているので一つのネタを完璧にすることはできない。一つのネタの中での学びを少しずつ残していくことで、我々の漫才というものを成長させている、つもりだ。

その点、今日のライブは作家さんの主催ということでネタのダメ出しを貰うことができた。とにかくスピードが必要な我々には大変助かる。ちなみにここで我々と言っているが、田川くんはダメ出しは聞かずに帰る。家で寝たいらしい。どんだけ寝るんだ。
さらにちなんで言うと、この「ダメ出し」という言葉が嫌い問題はわりと芸人の間ではポピュラーだと思う。どれだけウケたとしてもダメ出しを貰うというモードに入ると気持ちが冷める。うれしい時は素直に喜ぶという力も芸人には必要ではないか。常に自分を戒める姿勢でいると私のようにつまらない人間になってしまう。全体を整えようとするあまり、自分がどうしたいのかがわからない人間になってしまう。最後に勝つのは結局、好き勝手やっている奴なのだ。もちろん好き勝手やっている奴らとは言ったが、その人なりの計算があることはわかっているつもりだ。

TBSラジオの荻上チキ氏のSESSIONという夕方の帯番組がある。私はこの番組が夜の帯だったころから聞いている。この番組ではダメ出しという言葉をポジ出しと言い換えることを提唱している。世間のあれやこれやについてダメ出しばかりをしてその場にとどまるのではなく、ポジティブな改善案を出しあい、良い方向へ前進していこうという言葉だ。

この言葉について私も共感する。ダメ出しだとあまりに内省の色が強すぎる。良い方向を模索するために意見を聞くのに萎縮する方向にいってはいまいか。私の頭にはサッカーボールから空気が抜けてしぼんでいくような画が浮かぶ。しぼんだサッカーボールはプロが蹴っても飛距離が出ない。飛びたい方向が定まっても飛び出すことができない。
また、これはダメ出しをする側(ややこしいのでAとしよう)に対しても失礼なのではないかと思う。ダメ出しと聞くと先ほどの荻上氏の例でもでたように、前進させないストッパーのような、上から木づちで打つようなイメージになる。Aにとっては改善のための助言をしているのにダメ出しというラベルが貼られていることで若い芽を摘む行為にカテゴリされてしまう、気がする。芸人も助言をもらうというよりもAから怒られに行くというメンタルになる。双方にとって良いことはない。

ダメ出しという言葉は変えるべきだ。ではポジ出しに変えようと言ってしまうとこれはただ荻上氏に追従するだけで面白くない。なにかいい案はないかと考える。
「スポンサー」これはどうだろうか。後援者、提案者などの意味がある。さらにキリスト教においての代父母という意味でつかわれることもあると辞書にあった。洗礼名を与えるという意味から来たものと推察される。
Aは応援の気持ちがある。あると思いたい。まさしく後ろから応援する後援であり、良い案を提案する。そして、名前を付けるわけではないが芸人としての洗礼を与える。これらを鑑みてどうだろうか、Aとはスポンサーでありダメ出しとはスポンサーの原型、スポンスと言い換えることができる。

もちろん、読み手の皆様の気持ちはわかる。スポンスとは発話が難しい。浸透しないだろうと。笑うという感情表現を我々はどうやって文字にしてきたか考えてほしい。笑いが入る例文を1つ提示する。

まぢかよ

この短文を使う。

まぢかよ(笑)→まぢかよ笑→まぢかよ藁→まぢかよw→まぢかよwww→まぢかよ草生える

このようにネット上では笑いを表すために言葉が変化していった。
スポンスという言葉も浸透の過程で変化するのではないか。

スポンス→酢ポンス→酢ポン酢→ポン酢→ポン→ポンタポイント→ポンポ

このような行程を踏むのではないだろうか。ダメ出しという、杭を地面に打ち付けるイメージからデベソのたぬきという何ともきゃわゆいイメージに変貌を遂げた。そしてこのポンタポイントはローソンでたまることからダメ出し=ポンポ=ローソンというような変化の可能性も秘めている。どうだろうか。だめか。
ダメ出しとはポンタポイントやローソンと言い換えていくべきであると私は提唱していきたい。

ただ、明日には忘れていると思う。

今日の面白いとおもったことは「屁理屈を考えるのはおもしろい」ことだ。

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。