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「老後にすることがない」とお困りの方へ 馬鹿な奴(私)の楽しみの遍歴

※冒頭の写真は最近散歩中に撮影した変わった形の木の根です。何かに似ているけど何かはわからない、というのが気に入っています。

 さて、馬鹿な奴(私)は、noteを使って、好き勝手なことを言っています。好き勝手なことをいうついでに(「ついで」などと言っては読者さまに大変失礼ですね)、いままで自分がどんな娯楽・趣味を嗜んできたか、その遍歴をお話したくなりました。終戦直後に生まれた現在76歳の趣味嗜好に関心がありましたら、読み進めていただければ。

 趣味といえば、まず読書があがります。私が今でもはっきり覚えているのは、小学生の2・3年生頃だったでしょうか、実家の居間で夕方になって薄暗くなったに気が付かず本を読んでいて、姉に怒られた記憶があります。お陰様で近眼になったのですが、読書は非常に好きで、現在も続いています。

 身体を動かすことも好きで、高校では柔道部に入りました。またこの時期、広島に1年ほど住んだのですが、ここでは、裏千家の茶道を習いました。その後、就職し東京に転居したので、再度茶道を習おうとしましたが、裏千家の教授所が見つからず、とうとうあきらめてしまいました。

 次に覚えているのは、結婚して赤羽に住んだ時、金銭的関係もあり妻と近くをよく散歩したことです。

 この時でしたか、単に散歩しても面白味がないと考えたのか個々の家の門、玄関、塀、植木等でかっこいいものを見つけては批評しあうという遊びを始めました。これが高齢者になった現在興味を持っている樹木の表皮の観察の原点になったと思います。こうした視点で風景や雲などを見ますと、「あれはオットセイに似ている」「これはヘビに似ていないか」などと思いを馳せることが好きになりました。また、この頃から仕事の関係上ゴルフを始めました。

 仕事をしていく関係から、麻雀も誘われましたが賭け事というか金銭のやり取りがが私の性格に合わなかったのか自然にやめていきました。囲碁、将棋もある程度やりますが相手があまりいないので現在は全くご無沙汰しています。釣りもある程度行っていましたが、釣った魚が死んでいくのを見ますと可哀そうに思えてならず、止めました。

 そして35歳ごろから謡をはじめました。能楽とまで言えない初歩の初歩でした。やはり、日本の古典芸能にひかれたのでしょうし、父が、戦前に「琵琶」を習っていたことが影響したかもしれません。そして40歳過ぎごろから本格的に能楽を習い始め、最終的には能3番を舞わせていただきました。身近な方で能を1番でも舞ったことがある者は極めて珍しいと思います。それを3番も、だから貧乏しているのです。

 その後、自宅を建てて転居したところ、近くの森や川があって野鳥、野生動物が沢山いましたので、双眼鏡を買って野鳥等の観察に出かけたこともあります。

 平成6年「馬鹿な奴の馬鹿な意見」というブログをはじめ、何か文章を書くことが好きになりましたが、平成27年に中断しました(そして現在、noteで再開しています)。

 そして5年ほど前に思い立って、ある宗教大学の通信教育を受講するようになり、今年6月には卒業(場合によっては来年以降にずれるかも)できるものと思っています。でもこの学校のことは、娯楽・趣味というものではなく「人間の生きざま」の話ですね。そして結果としてこの学校に入学し、勉強するために能楽は止めてしまいました。

 馬鹿な奴の娯楽・趣味の遍歴は、以上のようにものですが、ほとんどが娯楽・楽しみというものであり、趣味と言えるものは茶道と能楽だけでしょう。

 人生では、娯楽・趣味・仕事があるかないかで楽しさの度合いが違ってきます。最近歳を取って「することがない」といって嘆く方が多いと聞きますし、身近にもいます。また、歳をとって体が動かなくなったとか、目が見えなくなったとか言われる方もおられます。それを避けるためには、屋内と屋外の両方ででき、かつ、上が目指せる趣味や娯楽を、若いころから親しむのがよいのだと思います。

 私の周りには、居合道、剣道、茶道、能楽、音楽、ゴルフ、盆栽などを行う者がおられます。86歳の人とご一緒してゴルフを毎週1ラウンドプレイしています。皆楽しそうです。「することがない」という皆さんにもぜひ頑張ってほしいです。馬鹿な奴のアドバイスで大変、大変、失礼しました。お許しのほどを。

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