同じ温度感でいることは大切/167日目
こんばんは。
何かに対する温度感。
これは、結構大事なことだと思います。
とは言っても、別に個人で見れば
何に対して熱があって、何に対しては冷めているかはそこまで大事ではありません。
ここで言いたいのは、
会社やチーム、恋人などとの関係性で、
そこには同じ程度の温度感があることが必要ではないかということです。
例えば、分かりやすい例で言えば高校の野球部とか。
キャプテンは、甲子園に出場することが目標という温度感で練習をしていても、他のメンバーはただ野球がしたいという理由だけで入部したという温度感だったらどうなるか。
これは、間違いなくうまくいきません。
甲子園に行くためには当然練習はキツくなるけど、キャプテンと温度感の違うメンバーはそれにはついてこれなくなり、結果辞めるか、キャプテンが諦めて辞めるかのどちらかになってしまうでしょう。
お笑い芸人も似ています。
漫才師としてM-1で優勝したい人と、
そんなことではなく、ただなんとなくお笑い芸人になった人がコンビを組んでも、そこにあるのは売れないか解散だけでしょう。
会社でも、残業をしてでも仕事を終わらせようとする人ときっちり定時で帰る人とでは、どちらが正しいかは別としても温度感の差があることでなかなかうまくはいかないでしょう。
恋人との関係でも、
どちらかが一方的に好きなだけでは
うまくいきません。
このように、2人以上のチームになり、
そこで何か目標を成し遂げようとする場合には、
温度感のズレは大きなマイナスを生みます。
だから、周りの人の環境はとても大切です。
思えば、学校もそういうことなんでしょう。
高校受験。
これはまさに、勉強に対し同じ温度感を持った人を集めるための制度でしょう。
将来東京大学に入学したい人が、
小中のように同じ地元の人が通う高校に入っていては、ダメなんだと思います。
だから、灘や開成のように、東京大学を目指すという同じ温度感のある人たちのもとに集まろうとするのではないか。
そして、その方が本人にとっても、
同じ温度感でいるもの同士切磋琢磨して勉強できるのではないか。
もちろん、普通の高校に行っても東京大学に入学できる人はいます。
ただ、確率的には少ない。
それは周りに流されてしまう可能性が高いからでしょう。
温度感のズレは、人のやる気を削ぎます。
「何で自分はこんなに頑張っているのに、
あいつは遊んでばかりいるんだ。」
「俺がこんなにやってあげてるのに、
あいつは何もしない。」
逆に
「もっと楽したいのにあいつがいると
俺も頑張らないといけなくなっちゃう」
「あいつがいると、俺がサボっているみたいに見えるから嫌だ」
温度感のズレは、こんな風に人を思わせます。
同じ温度感でいる人が集まれば、こんな風な感情にはならず、逆に良い相乗効果が期待できるのに。
何をやるにしても、まずは同じ温度感の人を探すことが大切なのかもしれません。
そういう人と出会えるかどうかが、
人生の分かれ道になる気がします。
今日はそんな温度感の話でした。
また明日。